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麒麟を探し求めて

 15世紀に海を旅した探検家は、瑞兆を表す珍しい生き物「麒麟」を捜し求めたと言われます。古代は麒麟に様々な呼称があり、南宋時代は「徂蝋」と呼ばれ、明代は「祖剌法」と翻訳されました。実はこの名称はアラビア語のZarafaの音訳で、意味は「キリン」です。この麒麟を捜し求める旅は、東西双方がお互いの存在を認識する機会にもなりました。

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    • 明成祖坐像
    明成祖坐像_預覽圖
    明成祖坐像
    • 中畫000312

     永楽帝(在位期間1402-1424)の在位中は国力も強大だった。鄭和率いる船団を南シナ海、インド洋一帯へ派遣して海外でも国威を示し、これが15世紀における東西交流の幕開けとなった。

    • 瀛涯勝覧
    • 瀛涯勝覧
    瀛涯勝覧_預覽圖
    瀛涯勝覧
    • 平圖002606
    • 明 馬歓撰
    • 明万暦四十五年江西巡按陳于廷刊本

     馬歓は鄭和船団のアラビア語通訳官だった。馬歓は船団に従って訪れた場所で見聞した事柄を『瀛涯勝覧』として記録した。優れた文章表現で著された本書は、今日、鄭和船団の遠征について知るための最良の書物とされている。

    • 明人画狻猊図
    明人画狻猊図_預覽圖
    明人画狻猊図
    • 故畫003749

     「狻猊」とは獅子の旧称である。中国に獅子は生息していないため、外国語の音訳だと思われる。永楽朝と宣徳朝の頃は外国から立て続けに獅子が献上されたが、その後しばらく中断し、成化朝と弘治朝の頃になるとまた、サマルカンドの使者が獅子を連れて来朝した。この絵は弘治朝の宮廷画家の作品で、かなりの大作である。おそらく記念として宮廷の壁に掛けられていたのだろう。

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