典蔵新紀元──清代末期から民国初期の上海画壇,展覧期間  2018.7.1-9.25,北部院区 第一展覧エリア 会場 105、107

 上海はアヘン戦争後に五つある国際貿易港の一つとして開港されました。その書画市場は上海の経済的な繁栄と大いに関わりがあります。1851年に太平天国の乱が勃発しましたが、上海の租界は特に影響がなく、安定した生活環境に引かれて近隣各地の書画家がやって来たため、上海は各地方の画風が溶け合う場となったのです。実は上海の画家たちの多くが中国各地から上海にやって来た地方出身者でした。「八方雲聚」では、浙江の張熊と朱偁(嘉興)、任薫、任頤(蕭山)、安徽の虚谷(歙県)と胡璋(桐城)、江蘇の沙馥(蘇州)と倪田(江都)、上海近郊出身の胡遠(華亭)と銭慧安(宝山)などの名家の作品をご紹介します。上海に寓居、或いは絵の売買のために往来した書画家たちは交遊があり、互いに作品を観賞し合う中で、俗に「海派」と称される画風が形成されました。簡潔で爽快さを感じさせる用筆、躍動感ある鮮やかな墨彩など、花鳥画や人物画、山水画などの分野で独創性を発揮し、誰もがともに楽しめる芸術が誕生しました。

清 張熊 山水

  1. 形式:卷
  2. サイズ:縦 30.8 cm 横 94 cm

 張熊(1803-1886)、浙江嘉興(現在の浙江省嘉興市)の人。1860年代以降、上海に転居。海上派発展初期における重要な牽引者の一人。花鳥画を得意とし、山水画もよくした。
 この作品には、川を臨む山中での隠居暮らしと周囲の山水が描かれている。中段の小さな建物の中に二人が対座しているのは、画上の詩句「卻好故人来小坐」に呼応している。張熊は清代の著名な画家王翬の風格を使い、緊密な構図と鮮やかな筆致により、画巻制作の依頼主「聴甫大兄」の求めどおりの作を描いている。物寂しい秋の風景だが、文人らしい詩情溢れる景観となっている。制作年は丙辰(1856)とあり、張熊が上海で活躍する前の作品かもしれない。

清 朱偁 花鳥冊

  1. 形式:冊
  2. サイズ:縦 24.3 cm 横 40.3 cm

 朱偁(1826-1900)、字は夢廬、号は覚未、浙江嘉興(現在の浙江省嘉興市)の人。花鳥画をよくし、名声を博した。実業家なら誰もが朱偁の扇面を懐から取り出すのを誉れとした。
 この「花鳥冊」は朱偁が74歳時の作品で、計十二開ある。ツバメのほか、カササギやコモンシャコ、ハッカチョウ、スズメが描かれている。その多くに対角式構図が用いられており、着色も明るく鮮麗で、好ましい作品となっている。用筆の速さによって、飛行中の野鳥の動きが巧みに表現されており、その角度にも意表をつかれる。例えば第五開は、翼を広げた野鳥が急降下しながらふと振り返った瞬間が、単一の線で表現されている。最後の開には黒と色を織り交ぜつつ、朦朧とした野鳥の姿形が描かれている。溌剌とした躍動感溢れる用筆はリズミカルで、海派の花鳥画を代表するにふさわしい作品である。