花瓶に生けた花
-
挿花(生け花)は宗教の供花から始まりました。よく見られる蓮の花は、簡素で美しく、清らかなイメージがあり、特殊な意味を象徴的に表しています。唐から五代にかけては、宮廷だけでなく民間でも、庭園に遊び、花々を愛でるのが風流とされ、花を生けて楽しむことが流行しました。宋代になると、庁堂(広間)や書斎に四季の花々を飾るようになり、文人好みの風雅な趣味として、「挿花、焼香、点茶、掛画」が結び付きました。
元代から明代以降は、「瓶花」(花瓶に生けた花)が絵画の主題の一つとなりました。広間に飾る挿花は豊かで豪華な雰囲気に、書斎の花は清雅な趣が尊ばれました。民間でも季節の行事に合わせて花を飾りましたが、その植物が象徴する吉祥の意味を大切にしました。切り整えた花材を花瓶に生ける時は、見た目やバランスの美しさにこだわり、素材も様式も多種多様な花器が使われるようになりました。清代には「博古清供」と言われる、一種独特の題材も現れました。花材を器物や果物、霊芝、ひも飾りなどと組み合わせ、語呂合わせや象徴的な意味にかけて、富貴や平安などの寓意を込め、日々の暮らしへの願いを表現しました。
-
宋 李嵩 花籃
- 形式:冊
- サイズ:26.1 x 26.3 cm
李嵩(1190-1264頃に活動)、浙江銭塘(現在の浙江省杭州市)の人。木工として働いたこともあったが、後に宣和画院待詔李従順(1120-1160頃に活動)の養子となった。人物画や山水界画、花卉画、いずれにも優れていた。
籐籃に盛られた早春の花々で、新年を迎えた喜びが象徴的に描かれている。紅山茶や緑萼梅、蝋梅、沈丁花などが、彩りや香りも考えて隙間なく生けてあり、福々しく豊かな雰囲気をかもし出している。中心にある大きな椿の左右に枝葉が広がり、疎密のバランスも美しい。弧形に編まれた籃の持ち手は写実的に描かれている。典雅な趣ある着色も華やかで、宋代宮廷花籃画の佳作である。『歴代集絵』冊第六開より。
-
明 陳洪綬 玩菊図
- 形式:軸
- サイズ:118.6 x 55.1 cm
杖を手にした高士がゆったりと腰を下ろしている。こぶだらけの雑木の根を加工した腰掛は、中空の特殊な形状となっている。菊を生けた瓶が石の上に置いてあり、菊の花と黄色い柿の葉の素朴な色合いが楽しめる。官職を退いて帰郷した陶淵明(365-427)は名利を求めず、のどかな日々を送った。酒を飲みつつ菊を摘む詩は、しばしば文人らに引用される。菊の花は君子の徳の高さや隠棲を象徴する。画中の人物は単に花を眺めているだけでなく、「物我合一」の境地に達しており、自然に近づくことへの憧憬が反映されている。「瓶花」は、陳洪綬(1598-1652)が晩年に好んで描いた様式で、この「玩菊図」は記念として友人に贈った作品である。
-
伝 明 辺文進 歳朝図
- 形式:軸
- サイズ:108 x 46.1 cm
正月用の挿花が描かれている。首が長く口の広がった、青銅器の觚を模した花瓶に花が生けてある。腹に突起物があり、雷紋と蕉葉紋、雲紋で装飾されている。梅の花や蘭、椿、水仙、南天、霊芝、松、柏、柿、如意草─吉祥来福を願って、「十全十美」を意味する10種の花材が生けてある。全体に謹厳な構図で、溢れんばかりに生けられた下方の花は垂れ下がり、緩やかな曲線を描いている。梅の枝が高く伸び、上下と虚実が呼応し、折れ曲がる枝の変化が画面をリズミカルにしている。
「宣徳二年(1427)春正、隴西辺文進製」と記されているが、明代初期の宮廷画家辺文進(1356頃-1428)の画風とは似ておらず、後人が書き入れた可能性がある。
-
清 陳兆鳳 博古花草
- 形式:軸
- サイズ:231.7 x 117.7 cm
陳兆鳳(同治、光緒年間に活動)、字は夢岐、花鳥画に優れていた。如意館画士、光緒7年(1881)に七品頂戴を授かり、老齢のために退官するまで二十余年に渡り内廷に仕えた。大きな敞口(口縁が外側に反った形)の磁器に、紫色の藤や桃の花、緑の蔓草、薄紫の花が生けてある。挿花はまず枝の長さや角度を決めてから、瓶の口に花材をしっかりと固定する。花器は全体に宝蓮花紋で飾られ、肩に蕉葉紋、胴にある開光(飾り窓風の模様)には山水が描かれており、かなり凝った装飾となっている。ガラスの鉢には水草の間を悠々と泳ぐ金魚がいる。紫の藤と宝瓶、金魚は「祥瑞平安、金玉満堂」を象徴している。吉祥を表す宮廷の調度品である。