筆墨は語る─中国歴代法書選,展覧期間  2017.07.01-09.25,会場 204、206
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展示概要

書法とは、漢字文化圏特有の芸術であり、古くから中国文化の伝統の中で体系化され、日常生活にも深く根付き、古今を通じて人々に親しまれています。古より今に至る中国書道史発展の過程には、多くの人々が深い関心を寄せており、この度の特別展はそれらをご覧いただくために企画されました。

秦漢時代(前221-220)は書道の発展における重要な転換期です。まず夏、殷、周三代以来、枝分かれしていた古文と大篆、銘刻が統一され、標準的な書体─小篆が誕生しました。一方、春秋戦国時代に登場した隷書は篆書が簡略化されつつ成熟し、漢代には一般的な書体となりました。簡略化を推し進める風潮が盛んになるにつれ、隷書も変化と分化を繰り返し、その結果、草書と行書、楷書が生まれました。書体は絶えず変遷を繰り返し、魏晋南北朝(220-589)に至ると、過渡的な書風や書体の入り混じった表現が現れるなど、長い年月をかけて変化する中で、結体や筆法が自ずと規律化されていく様子が見てとれます。

続く隋唐時代(581-907)も重要な時期の一つにあたります。政治上の統一によって南北各地の書風が合流し、筆法が完成され、楷書が歴代を通じて使用される書体となりました。宋代(960-1279)以降、著名な書家の書蹟を後世に伝えるため、法帖が盛んに作られるようになりました。しかし宋代の書家は古典の継承だけでは飽き足らず、自分の個性や自然の趣を表現しようとしました。

元代(1279-1368)に至ると、復古が提唱され、晋唐時代の書法の伝統が継承された一方、伝統に束縛されない意識もしだいに高まり、明代(1368-1644)になると、縦横に筆を揮う奔放な書風が登場しました。明人の書は非常に多彩な様相を呈し、行草書の表現は特に自由奔放で、当時のあくまで伝統に則った書法と対比をなしています。その間に個性を発揮して自らの書風を確立した書家も時代の波に呑まれることなく自己表現の道を歩みました。

清代(1644-1911)以降は、三代及び秦漢時代の古文や篆書、隷書などが相継いで出土しました。これは書法にとっては天の恵みだったと言えましょう。実証的な考証学が勃興する中、書道界にも金石学が興り、刻石と法帖を照らし合わす事によって、書法の発展に古今の繋がりが見出せるようになったばかりでなく、篆書と隷書から古きを学びつつ新しい創造を目指すことが可能となり、新たな方向性が導き出されたのです。

展示作品解説

魏(三国時代)

曹真残碑及び碑陰墨拓本

  1. 形式:軸
  2. サイズ: 76.6x98.8、77.2x98.8

碑主は曹真であることが『三国志』により伝えられる。魏(三国時代)太和5年(231)に建立され、道光23年(1843)に出土した。碑陽と碑陰の拓本を合わせて一幅としている。中段のみ残されている碑陽は計20行、その下の2段に分かれた碑陰は計30行ある。8行目の「邽」という文字が損なわれていないものは、初拓本と同じく道光年間に採拓されたもので、本院所蔵本がそれである。書風は漢隷を継承しているが、字形はやや方形となっており、横画の起筆と収筆の稜角がはっきりと見て取れる。この作品は三国時代の人物研究にとって重要な史料であるだけでなく、隷書の変遷や発展を知る上でも代表的な作品の一つである。

明 文徴明

書蘭亭敘

  1. 形式:卷
  2. サイズ:29.2x120.4

文徴明(1470-1559)、江蘇長洲(現在の江蘇省蘇州市)の人。本名は壁、字は徴明、字で名を知られる。号は停雲生、衡山居士など。詩文と書画ともに優れていただけでなく、作品鑑定や収蔵にも熱心だった。沈周(1427-1509)と唐寅(1470-1524)、仇英(1494?-1552)とともに「明四家」と称される。

文徴明はしばしば「蘭亭敘」を書いたため、臨本が多数残されている。巻末の自題によれば、89歳の時の作品である。用筆や字形、章法が王羲之の「蘭亭敘」とは大きく異なっており、意臨による作品で、「領字従山本」から来ている。筆法には含みがあり、間架にも気を配り丁寧に書かれており、筆意が連綿と繋がる箇所は人と自然の生命感に満ちている。

明 豊坊

各体書書訣 下冊

  1. 形式:冊
  2. サイズ:25.5x31.8、29x17.8

豊坊、字は人叔、号は禺外史。嘉靖2年(1523)に進士に及第。明鄞(現在の浙江省寧波市)の人。豊坊の家では碑刻や法帖を多数収蔵していたことから、臨作は原本と区別がつかないほどよく似ている。

この作品は『元明書翰』第二十二冊に収録されている。冒頭では古代の書家が日常生活で目にした揉め事や剣舞、棹の使い方から、書法の要訣となる道理を悟ったことについて述べている。続いて「火箸で炉の灰に書く」ことと「往来で蹴鞠をする者を見た」経験を通して、執筆の法と運筆の勢は手足の動作と関わりがあるのに気づいたことを説明し、書法と肢体の動かし方は不可分の関係にある点を強調している。

民国 趙叔孺

篆書

  1. 形式:軸
  2. サイズ:106.4x45.8

趙叔孺(1874-1945)、本名は時棡、字で名を知られた。浙江寧波(現在の浙江省寧波市)の人。清代末期に福建同知となった。民国以降は上海で隠居し、書画や篆刻に専心した。「海上四大家」の一人に数えられる。趙叔孺の円朱文印には高雅な趣があり、門下生に伝えられたその表現や技術は民国印壇に大きな影響を与えた。

この作品には「正考父鼎銘」の一段が書かれている。用筆は円潤、結体は均整が取れ、文字が上下に伸びている。精神性と規範を備えた、篆書の典範だと言える。釈文「壱命而僂。再命而傴。三命而頫。循牆而走。亦莫予敢侮。」蔡辰男氏寄贈。

民国 鄧散木

行書中堂

  1. 形式:軸
  2. サイズ:85x 33

鄧散木(1898-1963)、上海の人。本名は菊初、号は糞翁、字で名を知られた。書法に精通していただけでなく、絵画や填詞もこなした。著書に『篆刻学』がある。多数の門弟がいた。

この作品には宋人黄庭堅(1045-1105)の書論の一段「余嘗評元章書如快剣斫陣。然似仲由未見孔子時風度。」が書かれている。米芾(1052-1107)の用筆の筆勢を剣を振るう将兵のような敏捷さだと喩え、生き生きと適切に表現されていると述べている。鄧散木が文字を書す時はある種の覚醒があるように見え、重々しい線と疾走感のある飛白、線の繋がる箇所が呼応し、そこに見られる力と美の激しい動きに強い感銘を受ける。

展示作品リスト

朝代
作者
作品名
形式
サイズ (cm)
魏(三国時代)
 
曹真残碑及び碑陰墨拓本
76.6x98.8、77.2x98.8
北魏
 
密雲太守霍揚正碑墨拓本
191x89.8
 
唐人橅王氏書
29.7x35.4
張旭
古詩四帖
29.5x29.4
南宋
趙構
宋高宗書付岳飛手敕
29.7x35.4
趙孟頫
書仏説阿弥陀経
28x11.1、29.4x24、28.8x12
文徵明
書蘭亭敘
29.2x120.4
豊坊
各体書書訣 下冊
第七開25.5x31.8、第八開25.4x24.9、第九開25.4x27.1
董其昌
臨争坐位帖
21.8x29.7
史可法
書贈戴練師雲洲子歌
29.5x27.7
鄭燮
六分半書懷素自敘中堂
190.5x105.2
郭尚先
行書
橫批
47.4x116
民国
趙叔孺
篆書
106.4x45.8
民国
鄧散木
行書中堂
85x33