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行李から取り出された作品の境遇と旅程

 運よく皇帝の道連れとなった書画作品の境遇はそれぞれ異なります。一度も開かれることがなく、そのまま宮殿の収納箱にしまわれた作品もあります。乾隆帝からの贈り物として行宮や寺廟に置いていかれた作品もあれば、宮廷へ持ち帰って修理や臨模、考証を行った後、元の場所に送り返された作品もあります。南巡終了後に繰り返し複製品が作られたお気に入りの作品もあり、いろいろな素材を使った、大きさも様々な複製品が宮中に飾られました。もちろん、旅の道連れとして固定メンバーになった作品もあります。南巡の旅に行李い収められ、皇帝とともに各地を旅して回ったのです。

清 高宗 聴松菴竹罏煎茶畳旧作韻

  1. 形式:冊
  2. サイズ:30.1 x 35 cm

 喫茶を好んだ乾隆帝は南巡の度に竹炉のある無錫の恵山寺を訪ね、名水を汲んで茶を味わった。恵山寺は明代の王紱(1362-1416)などが描いた「竹炉山房図」を所蔵していたが、その内の一巻は紛失していた。1度目の南巡の際、乾隆帝は張宗蒼(1686-1756)に絵図を補完するように命じたが、残念ながら2度目の南巡の前に張宗蒼はこの世を去った。「聴松庵竹炉煎茶畳旧作韻之二」という詩にある「宗蒼図補竟長眠」という一句はこの出来事を指している。乾隆14年(1779)にこれらの画巻は全て火災により焼失してしまったが、乾隆帝は再度絵図の補完を命じたほか、宮中にあった王紱の「渓山漁隠図」を恵山寺に与えた。

清 高宗 聴松菴竹罏煎茶畳旧作韻

明 王穀祥 倣夏森画

  1. 形式:冊
  2. サイズ:13.3 x 22.6cm

 夏森(13世紀前半に活動)の画冊を模写した王穀祥(1501-1568)の作品。夏森は南宋時代を代表する画家夏珪(1180-1230前後に活動)の子息で、画芸に秀でていたが、現存作は極めて少ない。

乾隆帝が乾隆28年(1763)に記した題跋を見ると、当時も夏森の画稿は存在しておおらず、王穀祥の倣作は非常に貴重なものだとしている。この冊は行李に入れてあり、暇な時に繰り返し模写していることにも触れている。この絵のようにごく簡素で気の向くままに筆を走らせたような画風は、乾隆帝が最も好んで臨模した作品である。この作品は、乾隆27年(1762)に行われた3度目の南巡で行李に入れられた「王穀祥画冊」である可能性が高い。

明 王穀祥 倣夏森画