万世師表─書画の中の孔子,会場:202、208、212,展期:2017.07.01-09.28
万世師表─書画の中の孔子,会場:202、208、212,展期:2017.07.01-09.28
万世師表─書画の中の孔子,会場:202、208、212,展期:2017.07.01-09.28
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歴代の儒家

孔子は中国に最も大きな影響を与えた人物かもしれません。その影響力は歴史の流れの中にも見ることができます。荀子や孟子などに代表される諸子の言、様々な解釈や解説を施した多数の書物、名高い儒家は孔子の精神に沿った箴言を著し、清代には四書五経が満州語に翻訳されて大量に出版されました。このほか、各地の孔子廟に下賜された扁額からも孔子没後の名声の高さがうかがえ、歴代帝王に尊ばれていたこともわかります。

清 聖祖 御筆書萬世師表

  1. 形式:橫披
  2. 尺寸:109.2 x 393

康熙帝(1654-1722)は儒学と理学を重んじ、生涯に渡って書芸にも熱心に取り組んだ。晋唐代以来の古帖を臨模し、沈荃(1624-1686)の指導を受け、董其昌(1555-1636)の行書を学びつつ、宋元代の名家の長所を取り入れた。

孔子の67代目嫡長孫にあたる孔毓圻の著書『幸魯盛典』に、康熙23年(1684)に康熙帝が孔子旧居を訪れ、御書「万世師表」巻を贈り、その翌年には扁額を模拓させて全国の孔子廟に配布したと記されている。

この書は孔府にあったもので、字体には敦厚な味わいがあり、筆致にも落ち着きが感じられる。力の入れ方は均等で素早い収筆に潔さがある。康熙帝による数少ない擘窠大書の佳作である。字画は明瞭で、筆致も細部まで疎かにされておらず、各地の孔子廟に下賜された康熙帝御筆扁額の原跡であることは間違いない。

清 聖祖 御筆書萬世師表

民国 溥儒 満文書大学

  1. 形式:單片
  2. 尺寸:20.5 x 43.2

溥儒(1896-1963)、字は心畬、郷は西山逸士、恭親王奕訢の孫にあたる。清朝宗室の出身で代々北京で暮らした。幼少の頃から詩詞や経史、書画などを特に好んだ。古書画の臨模から始めて、絵画を熱心に学んだ。張大千と合わせて「南張北溥」と称される。後に台湾に定住。台湾近代画壇における最も重要な国画家の一人に数えられる。

この作品には、満州語の官書体で『大学』が書いてある。「大学之道」から始まり、「未之有也。」で終わる。款題に「以上経一章、溥儒。」とある。清代の統治者は「道統即ち治統」を原則とし、儒家の経典を重んじて、中国を合理的に統治するための理論的な依拠とした。康熙年間(1662-1722)に四書が満州語に翻訳され、経筵日講で用られる教材の一つとなった。儒家の修身や齊家、治国、平天下などの理念は満州族の思想文化にも影響を与えた。
寒玉堂より寄託。

民国 溥儒 満文書大学

清 蒋元樞 重修台郡各建築図説

  1. 形式:清彩繪本
  2. 尺寸:32.3 x 41.1

蒋元樞(1738-1781)、字は仲升、号は香巌、江蘇常熟(現在の江蘇省蘇州市)の人。乾隆24年(1759)に挙人となり、乾隆40年(1775)から43年にかけて台湾知府を勤め、41年から42年の間、護理分巡台湾道を兼任し、任期中に数々の功績を上げた。この絵図「孔廟礼器図」は『重修台郡各建築図説』に収録されている。「台郡ではどこの孔子廟でも鉛錫を用いているが非常に質が悪く、豆や籩、簠、簋などの礼器も規格に合っておらず、備えのないところも多い。」ことから、蒋元樞は乾隆41年に「闕里(孔子の故居)の制度を鑑みて呉中(蘇州)で職人を選び、購入した銅で礼楽に用いる祭器を造り、大量の銅製品を台湾に搬送した。」その翌年、自ら碑記を撰して董事の陳作霖(18世紀から19世紀にかけて活動)、林朝英(1739-1816)とともに碑文を刻した。現在、その石碑は台南孔子廟にある。早期台湾の尊孔思想に関する重要な文献の一つである。

清 蒋元樞 重修台郡各建築図説