万世師表─書画の中の孔子,会場:202、208、212,展期:2017.07.01-09.28
万世師表─書画の中の孔子,会場:202、208、212,展期:2017.07.01-09.28
万世師表─書画の中の孔子,会場:202、208、212,展期:2017.07.01-09.28
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孔子の肖像画

晩年、孔子は権力者の師となっていましたが、最も早い時代に描かれた孔子肖像画は『後漢書・蔡邕伝』に見られるものです。後漢の光和元年(178)、霊帝の時代に鴻都門学が設置され、孔子と72名の弟子の肖像画が描かれました。孔子在世時から600年ほど後のことです。今日では、固定のイメージで描かれた各種各様の孔子絵図が見られますが、その大半が文献などの描写を元に推測または想像された孔子像です。

至聖先賢半身像

  1. 形式:冊
  2. 尺寸:33.3 x 24.3

孔子の肖像画から始まり、許衡(1209-1281)で終わる。全冊六十開。春秋時代(紀元前770-紀元前476)から元代まで、歴代の著名な儒者120名の姿が描かれている。もとは歴代皇帝や后、賢臣らの肖像画が奉納されていた「南薫殿」に収蔵されていた。
題籤の封号を見ると、元代文宗至順元年(1330)に、孔子の主だった弟子たちに公爵の地位が追封されてから後に制作されたことがわかる。この度の特別展では、孔門四配十哲の順に表装された七開を展示する。「十哲」は『論語.先進第十一』に見られる。孔子自ら孔門四科の徳行に優れた弟子─顔淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓について述べている。弁論は宰我と子貢、政事は冉有と季路、文学は子游と子夏が特に優れているとしている。「四配」の例は南宋度宗咸淳3年(1267)に成立し、顔淵と曽参、孔伋、孟軻が祀られるようになった。

至聖先賢半身像

宋 高宗書孝経 馬和之絵図

  1. 形式:冊
  2. 尺寸:28.8 x 33.7

孝経は十八章あり、曽子(紀元前505-紀元前435)が孔子に孝について尋ね、曽子をはじめとする弟子たちが孔子の言動を記述して書物にまとめられたという。社会の各階級に属する人々─上は国家元首から下は一般庶民までが五つの階層に分けられ、孝道実践の法が示されている。この絵図は『宋人書画孝経冊』の第一開で、孔子の講義中に曽子が孝について質問している場面が描かれている。もともとは絵図と文が交互に連なる長巻だったはずだが、破損して再表装した際に、書と画を分割して冊頁の様式に変えられたのだろう。絵図と文が一組になっており、それぞれに異なる場面が描かれている。各階級における孝行と忠君という二つの意味が解説されており、「君主への進言」という制作目的がはっきりと見て取れる。画風は高宗にやや似ているが、御書院の画家が代筆したのだろう。馬和之の画風とは異なっており、宋人が名を借りて描いた作品に違いない。

宋 高宗書孝経 馬和之絵図

清 聖廟祀典図攷 至聖先師孔子像

  1. 形式:清道光六年顧沅刊本
  2. 尺寸:18 x 12.5

「至聖先師孔子像」は線描で表現された版画。太い眉と豊かなヒゲをたくわえた孔子は笏を持ち、冠服姿で正座している。歯が見える口元と手の動きから推測すると、『論語・郷党』に記されている「その宗廟・朝廷に在るや、便便として言う。唯謹めるのみ。」と語る様子を描いたものだろう。孔子の持ち物に関しては『礼記・玉藻』に「笏、天子以球玉、諸侯以象、大夫以魚須文竹、士竹、本、象可也……凡有指画於君前、用笏;造受命於君前、則書於笏。笏、畢用也、因飾焉。」とあり、古代の礼制に従い、天子に謁見する際、諸侯や士大夫は笏を持たねばならず、天子の面前で手ぶりをする場合は笏でそれを行う。この作品に描かれた孔子は廟堂で天子に政事について陳述しているところで、描線は「高古游絲描」(クモの糸のような細い線による描写)に似て、細く力強い均等な線で表現されている。もう一方の面にある文字は、周から隋までの歴代帝王による孔子への追封が記されている。

清 聖廟祀典図攷 至聖先師孔子像