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各地結ぶ大道

古代の交通路線図の中で、省や府、州、県などの地方行政区分図を兼ねる図の場合、各都市を結ぶ道理図が最多であるのは間違いありません。これらの道里路線は時代の推移につれて表現方法に変化が見られます。例えば、明代に制作された地図の道路は違う色の実線で示されていますが、清代になると、特に清代中期以降は点で点線を繋げてから着色してあるものが大半を占め、黄色もあれば、赤もあり、決まりはありません。こちらのコーナーでは、3台の展示ケースに分けて展示品をご覧いただきます。第1期は欒城県と望都県の県志及び県図─「河南開封府道里図」と「浙江省海塘図」を展示します。第2期は東光県と聊城県の県志及び県図─「直隸通省輿地全図」と『江南各道府図表』に含まれる池州府、広徳州の2図を展示します。各図の制作及び作画年代は14世紀初期もあれば、20世紀初期のものもあり、制作年代に大きな開きがあります。道路の書き方の違いのほか、伝統的古地図の様式の変化も見られます。

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  • 聊城県志及び聊城県輿図

    清の時代、聊城県は東昌府附郭県に属していたが、1913年に廃府存県が行われ、現在は山東省聊城市となっている。この図は城垛で飾られ、四方に城門と城楼がある方形の記号で県治が示されている。県城にある四つの城門から外側に向かって放射線状に広がる赤い点線は県外への連絡道路で、反時計回りに平陰、荏平、博平、臨清、堂邑、莘県、陽榖、七級、連阿─9本の大路がある。

  • 東光県志及び東光県全境輿図

    清代末期、東光県は河間府に位置していたが、現在は河北省滄州市に属している。図の中央にある赤い枠内に「城」と書いてある。中心近くの線は東光県を南北に貫く津浦鉄路を表しており、下方の縁に「鉄路北通南皮境」と書いてある。また、「城」を中心に「南北通行」、「南交河」、「赴阜城」、「赴景州」、「赴甯津」、「赴南皮」と、周辺地域への道が黒い点線で書かれているほか、この図には描かれていないが、南方の県境を起点として県治に通じる「赴呉橋」など7本の大道も示されている。

  • 直隸通省輿地全図

    この図には全省の山河や城鎮、道路、長城、関隘が描かれている。赤い線は道路を示しており、正定府と順天府城をほぼ中心にして、蜘蛛の巣のように道路が張り巡らされている。北へ向かえば承徳行宮、東は山海関へ到達する。西へ向かえば固関(南)、龍泉関(北)、長城嶺(北)を経て山西に入る。この図にはすでに「望都県」が存在しており、図上に標記されている「熱河同知」(庁)もまだ承徳府に昇格しておらず、平泉州と灤平県も設置されていないことから、おそらく1747-1777の間(乾隆12年-42年)の直隷省が描かれていると推測できる。

  • 江南各道府図表之池州府及び広徳州

    この図は右上の枠内に府名が書いてあり、四方に「北」・「南」・「西」・「東」と方位が標記されている。全図を囲む枠の四隅及び四方に書かれた方位の横に、この図表に見える府からの距離が記されている。例えば、如池州府図には「北至本府大江」、「西北到安慶府駅一佰六十里、西到九江府四佰八十里」などと書いてある。黄色い線は道路を表しており、府城内と府城、管轄内県城、県城を結ぶ連絡道路が含まれる。

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