筆墨は語る─中国歴代法書選,展覧期間:2018.01.01-03.25,会場:204、206
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展示概要

書法とは、漢字文化圏特有の芸術であり、古くから中国文化の伝統の中で体系化され、日常生活にも深く根付き、古今を通じて人々に親しまれています。古より今に至る中国書道史発展の過程には、多くの人々が深い関心を寄せており、この度の特別展はそれらをご覧いただくために企画されました。

秦漢時代(前221-220)は書道の発展における重要な転換期です。まず夏、殷、周三代以来、枝分かれしていた古文と大篆、銘刻が統一され、標準的な書体─小篆が誕生しました。一方、春秋戦国時代に登場した隷書は篆書が簡略化されつつ成熟し、漢代には一般的な書体となりました。簡略化を推し進める風潮が盛んになるにつれ、隷書も変化と分化を繰り返し、その結果、草書と行書、楷書が生まれました。書体は絶えず変遷を繰り返し、魏晋南北朝(220-589)に至ると、過渡的な書風や書体の入り混じった表現が現れるなど、長い年月をかけて変化する中で、結体や筆法が自ずと規律化されていく様子が見てとれます。

続く隋唐時代(581-907)も重要な時期の一つにあたります。政治上の統一によって南北各地の書風が合流し、筆法が完成され、楷書が歴代を通じて使用される書体となりました。宋代(960-1279)以降、著名な書家の書蹟を後世に伝えるため、法帖が盛んに作られるようになりました。しかし宋代の書家は古典の継承だけでは飽き足らず、自分の個性や自然の趣を表現しようとしました。

元代(1279-1368)に至ると、復古が提唱され、晋唐時代の書法の伝統が継承された一方、伝統に束縛されない意識もしだいに高まり、明代(1368-1644)になると、縦横に筆を揮う奔放な書風が登場しました。明人の書は非常に多彩な様相を呈し、行草書の表現は特に自由奔放で、当時のあくまで伝統に則った書法と対比をなしています。その間に個性を発揮して自らの書風を確立した書家も時代の波に呑まれることなく自己表現の道を歩みました。

清代(1644-1911)以降は、三代及び秦漢時代の古文や篆書、隷書などが相継いで出土しました。これは書法にとっては天の恵みだったと言えましょう。実証的な考証学が勃興する中、書道界にも金石学が興り、刻石と法帖を照らし合わす事によって、書法の発展に古今の繋がりが見出せるようになったばかりでなく、篆書と隷書から古きを学びつつ新しい創造を目指すことが可能となり、新たな方向性が導き出されたのです。

展示作品解説

北斉

唐邕写経碑墨拓本 軸

  1. 形式:軸
  2. サイズ:155 x 98.8

「唐邕写経碑」は北斉武平3年(572)に刻された。計20行、1行34文字、文字の大きさは5cmほどである。唐邕(生没年不詳)が天統4年(568)から武平3年にかけて、石窟内で仏教経典を刻した経緯が記されている。河北省邯鄲市にある「北嚮堂山石窟」南洞刻碑中の名品の一つである。

用筆を見ると、横画と捺(右払い)の収筆が意図的に強調されており、曲折が際立っている。字形は隷書と楷書の間にあるように見え、篆書由来の部分もある。全体に含みがあり、素朴な味わいが漂う。書法史のみならず、仏教芸術史においても著名な作品で、近代の書法家荘厳(1899-1980)の大字も本作の影響を受けている。

宋四家墨宝 冊

宋黄庭堅書七言詩

  1. 形式:冊頁
  2. サイズ:27.9 x 25.3

黄庭堅(1045-1105)、字は魯直、号は山谷道人、洪州分寧(現在の江西省)の人。詩文と書法に優れ、蔡襄(1012-1067)、蘇軾(1037-1101)、米芾(1052-1108)とともに北宋四大家に数えられる。

この作品には七言絶句一首が書かれている。「花気薫人欲破禅、心情其実過中年。春来詩思何所似、八節灘頭上水船。」─典故に託して作詩の困難が暗に示されている。草書の小品で紙面に限りがあるためか、運筆に落ち着きと含みがあり、力強く直線的な筆画、墨の掠れと濃淡の変化など、古朴な味わいの内に確かな質感がある。『宋四大家墨宝』冊より。

元趙孟頫趙氏一門法書 冊

管道昇致中峰和尚尺牘

  1. 形式:冊頁
  2. サイズ:31.7 x 72.9

管道昇(1262-1319)、字は仲姫、呉興(現在の浙江省湖州市)の人。趙孟頫の妻。仏教を篤く信仰していた。墨竹画や梅、蘭などの花卉画をよくし、山水画と仏画にも優れていた。

これは管道昇が中峰明本(1263-1323)に送った書簡で、恩師への深い感謝と、法師の導きにより家人の法事を執り行いたい旨が記されている。書体は楷書、行書、草書の3種が使われた「雑体書」の一種だが、趙孟頫ほどの熟達は見られない。題と書信が一つに表装されている。「趙管」の朱文印があり、中国古代の女性が夫の姓を冠した伝統が窺える。『元趙氏一門法書』冊より。

清 王澍

臨石鼓文

  1. 形式:冊
  2. サイズ:26 x 14.7

王澍(1668-1743)、字は若林、号は虚舟、江蘇金壇(現在の江蘇省金壇区)の人。康熙51年(1712)に進士に及第、官は吏部員外郎に至った。

これは雍正8年(1730)に書かれたものだが、比較の結果、「積書巌帖本」と同様とされた。研究者によれば、本作は乾隆55年(1790)に宮廷に収蔵され、その年、乾隆帝が石鼓文を再編纂したため、巻末に王杰ら臣下による説明が附されている。王澍の臨本は元明代の拓本より字数がかなり多い。また、篆書の多くは宋代の薛尚功を臨模したものである。王澍は早くも康熙時代には篆書で名を知られていたため、この作品と趙孟頫が音釈した元代の拓本(内府所蔵)は乾隆帝の鑑定を経て、石鼓文の閲読及び考証に用いる標準的な参考作品とされた。

清 林則徐

行書録沈大悟詩四屏 軸

  1. 形式:軸
  2. サイズ:129.4 x 31.2 x 4

林則徐(1785-1850)、字は少穆、号は七十二峰退叟など、福建侯官(現在の福建省福州市)の人。嘉慶16年(1811)に進士に及第。道光18年(1838)に欽差大臣に任ぜられ、広東海口でアヘンに関する調査と取り締まりにあたった。翌年、商人からアヘンや吸引用具などを没収し、虎門で全て処分した。いわゆる「虎門銷煙事件」で、今日の「六三禁煙節」の由来である。

林則徐は政治の世界だけでなく、書法でも名を馳せた。この作品には明代の沈宜(1611-1674)の七言詩一首が書かれている。点画は整い、間架も力強く、唐人の遺韻が感じられる。運筆の緩急、提按の軽重の変化が筆墨の奥行きを豊かなものにしている。晩年に書かれた大楷の佳作として貴重な作品である。

展示作品リスト

朝代
作者
品名
形式
サイズ(cm)
 
漢故小黄門譙敏碑墨拓本 軸
174.7 x 81.7
王羲之
晋王羲之七月都下二帖 卷
本幅一 27.8 x 25.8
本幅二 27.8 x 25
拖尾 25.2 x 92.9
北斉
 
北斉唐邕写経碑墨拓本 軸
155 x 98.8
北宋
黃庭堅
宋四家墨宝 冊 宋黄庭堅書七言詩
冊頁
27.9 x 25.3
趙孟頫
元趙孟頫書閒居賦 卷
38 x 248.3
管道昇
元趙孟頫趙氏一門法書 冊 管道昇致中峰和尚尺牘
冊頁
31.7 x 72.9
董其昌
明董其昌書五言絕句 軸
76.1 x 35.5
王澍
清王澍臨石鼓文 冊
26 x 14.7
愛新覚羅・永瑢
清永瑢書心経 軸
120.8 x 52
張照
清張照臨董其昌臨蘇軾仲矩帖 卷
15.6 x 48
林則徐
清林則徐行書録沈大悟詩四屏 軸
129.4 x 31.2 x 4
俞樾
清俞樾集曹全碑七言聯 軸
147.8 x 36.5 x 2
民國
溥儒
民国溥儒草書寒玉堂千字文 卷
26.8 x 113.2
民国
江兆申
民国江兆申行書王維五言古詩 横披
橫披
34.6 x 138