筆墨は語る─中国歴代法書選,展覧期間  2017.10.01-12.25,会場 204、206
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展示概要

書法とは、漢字文化圏特有の芸術であり、古くから中国文化の伝統の中で体系化され、日常生活にも深く根付き、古今を通じて人々に親しまれています。古より今に至る中国書道史発展の過程には、多くの人々が深い関心を寄せており、この度の特別展はそれらをご覧いただくために企画されました。

秦漢時代(前221-220)は書道の発展における重要な転換期です。まず夏、殷、周三代以来、枝分かれしていた古文と大篆、銘刻が統一され、標準的な書体─小篆が誕生しました。一方、春秋戦国時代に登場した隷書は篆書が簡略化されつつ成熟し、漢代には一般的な書体となりました。簡略化を推し進める風潮が盛んになるにつれ、隷書も変化と分化を繰り返し、その結果、草書と行書、楷書が生まれました。書体は絶えず変遷を繰り返し、魏晋南北朝(220-589)に至ると、過渡的な書風や書体の入り混じった表現が現れるなど、長い年月をかけて変化する中で、結体や筆法が自ずと規律化されていく様子が見てとれます。

続く隋唐時代(581-907)も重要な時期の一つにあたります。政治上の統一によって南北各地の書風が合流し、筆法が完成され、楷書が歴代を通じて使用される書体となりました。宋代(960-1279)以降、著名な書家の書蹟を後世に伝えるため、法帖が盛んに作られるようになりました。しかし宋代の書家は古典の継承だけでは飽き足らず、自分の個性や自然の趣を表現しようとしました。

元代(1279-1368)に至ると、復古が提唱され、晋唐時代の書法の伝統が継承された一方、伝統に束縛されない意識もしだいに高まり、明代(1368-1644)になると、縦横に筆を揮う奔放な書風が登場しました。明人の書は非常に多彩な様相を呈し、行草書の表現は特に自由奔放で、当時のあくまで伝統に則った書法と対比をなしています。その間に個性を発揮して自らの書風を確立した書家も時代の波に呑まれることなく自己表現の道を歩みました。

清代(1644-1911)以降は、三代及び秦漢時代の古文や篆書、隷書などが相継いで出土しました。これは書法にとっては天の恵みだったと言えましょう。実証的な考証学が勃興する中、書道界にも金石学が興り、刻石と法帖を照らし合わす事によって、書法の発展に古今の繋がりが見出せるようになったばかりでなく、篆書と隷書から古きを学びつつ新しい創造を目指すことが可能となり、新たな方向性が導き出されたのです。

展示作品解説

宋 米芾

書送提挙通直使詩

  1. 形式:冊
  2. サイズ: 30.6x63 cm

米芾(1052-1108)、北宋時代の書画家であり、鑑賞家でもある。本名は黻、字は元章。元祐6年(1091)に芾と改名した。徽宗帝に書画学博士として召され、官は礼部員外郎に至った。二王(王羲之と王献之)と顔真卿を基礎とする書は俊邁豪放な用筆で知られる。

「三呉帖」とも言われる本作は江西地方で任官する友人に贈った詩で、名款は「米黻」となっている。器量が大きく寛大な三呉(古代の蘇州と湖州、呉江一帯の通称)の大丈夫だと友人を称賛している。当時は米芾も仕官したばかりで、友人の境遇や抱負に共感するものがあり、詩文を借りて互いに励まし合ったのだろう。

元 鄧文原

致景良尺牘

  1. 形式:冊
  2. サイズ:33.4x41.8 cm

鄧文原(1259-1328)、杭州の人。字は善之または匪石、素履先生と呼ばれた。古文に広く通じ、元代初頭の大家趙孟頫と高克恭に評価され、親しく交友した。その書法は趙孟頫、鮮于枢と並んで「元初三大書家」と称される。

これは呉景良(名は漢傑)に宛てた尺牘(書簡)である。文中に「尊府義士碑下求悪札、俾得附名、以伝不朽。」という一文があり、鄧文原が景良の父である呉森(?-1313)のために碑文を書き、完成後に書簡をしたためたことが知れる。鄧文原は李邕の書法を学んだが、この作品の明朗かつ流麗な書風は晋人の趣が強く、趙孟頫の尺牘によく似ている。

明 宣宗

書上林冬暖詩

  1. 形式:軸
  2. サイズ:47.3x23.9 cm

明宣宗(1399-1435、宣徳帝:在位期間1426-35)、姓は朱、名は瞻基。画名の高さに書法が隠れがちだが、宣徳帝の書は沈度兄弟の書風を継承しつつ、より力強く円熟したものとなっている。

「上林冬暖詩」は宣徳6年(1431)に吏部郎中程南雲(?-1458)に下賜された六言詩「蓬島雪融瓊液、瑤池水泛冰澌。暁日初臨東閣、梅花開遍南枝。」である。字形は趙孟頫(1254-1322)に近く、明代初期以来の風潮が反映されている。運筆はやや速く、起筆にも収筆にも修飾が見られない。能書家だった程南雲は永楽19年(1421)に中書舍人に任ぜられた。書画ともによくしたが、特に篆隷書に優れ、高く評価された。

清 劉墉

臨黄山谷題周昉画琴阮図

  1. 形式:軸
  2. サイズ:106.4x45.8 cm

劉墉(1720-1804)、号は石菴,山東諸城(現在の山東省諸城市)の人。乾隆年間に進士に及第、官は体仁閣大学士に至った。魏晋を基礎とするその書法は古風かつ素朴な味わいがある。趙孟頫(1254-1322)から学び始め、中年期に一派をなした。

この作品は黄庭堅「題周昉画琴阮図」に書かれている一文「丹青有神芸、周郎独能兼、図画絶世人、真態不可添。卻憐如画者、相与落誰手、想像猶可言、雨重煙籠柳。」を臨模したもので、線の太さの変化によって虚実を調和させつつ、行気(文字間や行間の繋がりや流れ)が全体を貫いており、豊潤かつ重厚な味わいがある。譚伯羽氏、譚季甫氏寄贈。

民国 台静農

臨中嶽嵩高霊廟碑

  1. 形式:軸
  2. サイズ:75.9x52.1 cm

台静農(1902-1990)、安徽霍邱(安徽省六安市霍邱県)の人。字は伯簡、晩年は静者と号した。多数の大学の中文系(国文学部)で教授として教鞭を執った。近代の著名な文史学者であり、書法家でもある。

北魏太安2年(456)、太武帝は道士寇謙之の奏請を受け入れて嵩嶽新廟を再建した。それを記念して建立したのが「中嶽嵩高霊廟碑」である。この作品は台静農による臨写で、おそらく1986年の秋頃に制作されたものと思われる。書風は「爨宝子碑」に近く、筆画は方形で古朴な趣の内に俊秀の美がある。台静農氏寄贈。

展示作品リスト

朝代
作者
作品名
形式
サイズ (cm)
 
瑯琊台石刻墨拓本
75x64.3
 
史晨碑
23x13.7
 
三体石経墨拓本
111x59.8
蘇軾
致子厚宮使正議尺牘
25.6x31.1
黄庭堅
山預帖
31.2x26.8
米芾
書送提挙通直使詩
30.6x63
呉説
頓首上啓明善尺牘
23.9x38.8
鄧文原
致景良尺牘
33.4x41.8
倪瓉
跋唐人臨右軍真蹟
31.8 x20.5
宣宗
書上林冬暖詩
47.3x23.9
李東陽
自書詩帖
32.4x435.4
祝允明
書祖允暉慶誕記
121.8x44.8
文徴明
書酔翁亭記
53.5x28.6
劉墉
臨黄山谷題周昉画琴阮図
104x33.6
高邕
行書麓山寺碑
134.8x33
張祖翼
隸書五瑞図題記
134.8x33
楊峴
隸書礼器碑
134.8x33
毛承基
隸書石門頌
134.8x33
何紹基
臨魏上尊号奏
31.1x522
民国
董作賓
甲骨文題丁鶴廬題画梅詩
86.6 x 37.8
民国
張大千
行草書廬山詩三首
上幅18x61.2 下幅46.5x 86.3
民国
台静農
臨中嶽嵩高霊廟碑
75.9x52.1