元朝皇室の美術品収蔵は、当時、朝廷で活動していた士人たちとも密接な関わりがあります。例えば、公主主催の雅集に関った袁桷は、公主が天慶寺で催した雅集に関する貴重な記録を残しています。その他にも馮子振、趙巌などが公主の収蔵品にしばしば題を入れており、本院所蔵の「元人法書」(冊)にも題画や詩文が見られます。また、元文宗の書画鑑蔵顧問を務めた柯九思や虞集なども関連の題跋が多数残されています。柯九思は元文宗が設置した奎章閣の博士で、陸継善の「摹褉帖」の巻末に見える題字にその名があります。江参作と伝えられる「千里江山」や荊浩の「匡廬図」などにも柯九思の題記が残されています。
こうした士人らによる題跋は、元朝皇室の書画芸術に対する支持と、収蔵への関心の高さを示していると言え、この点からも異なる民族に属す士人らが互いに交流しつつ文化的な活動に参与していたことがわかります。また、その文化的知識をもって皇室の鑑蔵活動に参与した各種の状況も見て取れます。元人による題跋は数量も種類も多く、現存する宋代と元代の書画作品に残された実例も少なくありません。いくつか例を挙げると、本院が所蔵する趙孟頫の「重江畳嶂」巻末には、虞集や石巌、柳貫などによる題跋が見られます。士人らによる題跋の内容を見ると、その書画作品の芸術表現に呼応しているだけでなく、そこから垣間見える鑑賞の姿勢も元朝書画芸術を知るための素材の一つだと言えるでしょう。