本院は創立九十年来、器物類の新規の文物は一万七千点近く増加し、その数は所蔵文物の四分の一を占めています。そのソースは中国大陸時期の考古・購入・寄贈・引き継ぎ、及び台湾に遷移した後の寄贈と購入等です。新規の文物は主に本院が欠落している類型のもので、本院が清朝から継承した宮廷のコレクション-礼器・皇帝御用の器、装飾品・珍玩等の精緻華麗な器物とは大いに異なるところがありますが、それこそが本院の所蔵品に、より中国器物史の発展の脈絡を再現させることを可能にしました。例えば新石器時代から先秦に至る玉器、銅器、陶器については、清代の歴史家すら認識されていないものが、むしろ民間の収集家により発掘され、行商から購入されたものが、その後本院の所蔵品となり、展示を行っております。これにより、古来中国文化の遥か遠い時空に対する国民の理解をより豊かにすることができます。


この度の特別展は三つのコーナーに分けて展示いたします。「器物」では、6千年もの長きに渡る歴史の大河を越え、紅山文化から近現代の傑作まで、人類文明の発展や思想と信仰、社会の変遷、芸術文化の潮流など、歴史の壮大な流れをご覧いただきます。「書画」では、歴代文人画家の名作を精選し、個人が直面した人生そのものや時代的精神、自然、美感への探求と画家自身の研鑽などをあますところなくご覧いただきます。「図書文献」では、各種書籍や文献資料を幅広くご紹介しつつ、巻物や書物に記された文字や印刷物、模写による絵図などから、人々がどのようにして遠く時代を超えてこの知恵の結晶を継承し、永続的な文明の発展へと導いたのかを明らかにします。


皇室の珍蔵品は民間の日用品や行商人の扱う品々と兼ね合わせることはできません。例えば民窯で焼かれた磁器や明清時代の貿易用の磁器、或いは画像石や陶俑のような副葬される器物、金鍍金、素漆器など、ことごとくコレクターの方より、快くご寄贈頂いたり、その都度購入したりした物であり、本院の所蔵物に多様性と完全性をもたらしています。文物をご寄贈下さった方の多くは、公義を心に抱く人士であり、博物館の所蔵の歴史が遠い未来に至り、展示公開される意義を理解し、代々家に伝わる秘蔵品を公共のために快く寄贈されました。例えば吉星福、譚延闓等官吏の家々による寄贈により、清代晩期以来の審美眼を引き継ぎました。また張大千、江兆申等、アーティストからの遺贈作品は、更に芸術の新たなページを開き、綿々と絶えることのない歴史の長い河を継続しました。

本コーナーは古玉と青銅・陶器と磁器・文房珍玩の逸品の三つに分かれており、本院の所蔵の新紀元を呈します。

正史を補う-玉器と青銅

本コーナでは本院に新たに加えられた玉器と青銅器を陳列します。その多くは出土品で、清朝の宮廷に古くから所蔵され、未だ多くを知られていない品々です。1928年、河南省安陽の殷墟が正式に発掘されてから、九十年近くにわたる考古上の発見により、我々は早期の歴史に対する認識を大幅に変更することになりました。新石器時代の晩期の玉器は、歴史的考察が難しく、幅広く深い信仰の意味と芸術の成就は遠く、現代の人が測り知れるものではありません。本院は綿密な研究の成果により、適時所蔵し、遂に全く新たな中華文明の源に対する知識の一つ二つを窺い知ることができ、宮廷における逸品の欠落を補っています。


殷・周王朝の玉器と銅器は、荘厳且つ典雅で、銘文はいずれも原典のようであり、経伝の不足を補い、歴史文献の真偽を判別し、更にかつて記載されることのなかった歴史上の出来事も掲示しました。漢代の玉器は具体的であり、古代喪葬の風習を微かながら表しています。簡潔且つ熟練の技により作られた喪葬用の玉は、中国の喪葬風習の鍵を解く重要な媒介であり、また流動的な曲線美をもつしなやかなラインの息吹と生き生きとした神霊動物の彫刻には、この時代の神仙思想の象徴が表れてています。


曽姫壷

曽姫壷

  1. 戦国早期
  2. 通高78.3cm 器高さ68.8cm 腹深さ55.8cm

この壷は一対の丸い蓋、角形の腹を持つ方壷である。全体に楕方形を呈し、口はやや外側に広がり、首は長く、腹部は膨らみを持ち、下には方形の高台がある。頸の部分には龍の形をした一対の耳がある。蓋はやや盛り上がり、上にはS字形のつまみがある。首には装飾用に仰葉文、二つの蟠虺(ばんき)文が施されている。腹部には十字形の突起があり、これによって八つの空間ができている。上の四つの空間には蟠虺文が施され、下の四つの空間は無地である。二つの壷の口の内側には、五行三十九文字から成る同じ銘文が鋳込まれている。


銘文:「隹(唯)王廿又六年,聖(聲)之夫人曾姬無卹,(吾)安茲漾陵蒿間之無(匹),甬(用)乍(作)宗彝尊壷,後嗣甬(用)之,(職)才(在)王室。」(訳文:楚の恵王熊章の二十六年、王妃の姫無卹が、山川を祭り酒壷を鋳造し直系の子孫に伝える宝として、永遠に王室に服事する)


銘文には、楚の宣王の二十六年(344 BCE)、楚の声王の夫人、曽無卹が自分のために、漾陵蒿に葬地を選んだことが記述されている。『史記・楚世家』の記載によると、楚の声王が即位から六年(402 BCE)後、盗賊によって殺された。若くして夫を亡くした曽無卹は晩年、自分が声王の墓に葬られないことを知り、この壷に自分の葬地を記した銘文を鋳込ませた。その本心は、楚の王室が自分を祭ることを忘れないでほしいというものだった。銘文の字体は典型的な戦国時代の楚系の文字で、銘文の内容と共に史料としての価値を備えている。

曽姫無卹壷は民国二十一年(1932)に安徽省寿県朱家集李三孤堆の幽王墓で見つかり、その後、劉体智氏が所蔵していたが、本院の重要な文物となった。この壷が制作された年代は明確で、造形には躍動感があり、文様は細密で、器物の体積が大きく、雄渾な気勢にあふれている。まさに東周の楚系の青銅器の代表作である。

綴れ錦美しい模様を成す──陶器と磁器

本院収蔵の陶磁器は、清朝宮廷により伝わる古物であり、中でも宋代の白磁、青磁、及び明・清代の景徳鎮官窯で作られた宮中御用の器が最多を占めています。これを基礎に、本院は長年にわたり古物の不足を補うことを試み、完全なる陶磁器の所蔵を目指しております。


本コーナーでは長年にわたり収集した精華を展示します。その中には、新石器時代の彩陶、及び黒陶器も含まれております。漢代の厚い葬礼及び、服喪で死んだ者に仕える時は生者に仕えるのと同じようにし、葬祭の時には亡くなった者に仕えることを生存者に仕えるのと同じようにする観念の下に造営された墓室の画像磚があります。磚(瓦)には文飾、或いは当時の神仙方術信仰や墓主の身分や生前の事績が描写されています。漢代、揚子江下流域では高温落灰青磁の新たな紀元に突入し、後世の青磁が千年尽きることのない先例となりました。唐人の彩色土器傭は、墓主の黄泉の国に於ける守護者、及び侍従です。唐代晩期以降は、日用磁器が普及し、またアジアやアフリカ各地へ輸出され、明清時代には更に遠くヨーロッパ、アメリカにまで至り、文化の伝道者となりました。


上述の新規の文物は系統だってはいませんが、陶磁器の完全な収蔵のごく一部を構築することができました。今後の長い道のりにおいても、絶えず努力して参ります。


墨地素三彩四季花鳥瓷方瓶

  1. 清 康煕
  2. 高さ51.2cm 深さ49.8cm 口径15.1cm

方形の瓶で口は丸く外に広がっており、首は長く、肩は平らでやや下方へ傾斜している。長い筒型の胴、平らな底部を持つ。全体に上部が丸く下部が四角い形状は、古代の礼器である琮式瓶の持つ、天は丸く大地は四角いという造形の概念から取られている。底部には透明釉の下に施された楷書による「大清康熙年製」の款が入っている。字体は自由気ままな趣がある。康熙年間に民間の窯で制作された作品である。


器の内部には白釉が掛けられている。高温で素焼きした後、釉を掛ける前の外壁上に墨による線の輪郭、点描による文様の輪郭などを施し、さらに輪郭内部に緑の葉、黄色や紫色による夏のハス、秋の菊、芙蓉など四季折々の花を描いた。素焼きの余白には梅の花、蝶、小鳥などを配している。花びらや葉の色彩は明暗、濃淡がはっきりし、文様に立体感をもたらしている。この後、文様に触れないよう細心の注意を払いながら墨を入れ、さらに透明の透明乳白鉛釉を掛ける。このような、高温による素焼きの上から低温の鉛釉を掛けた作品は康熙年間における素三彩の特色である。


素三彩は、釉の色は主に黄、緑、紫、白が用いられるが、紅色、藍色が加わることもある。釉彩を直接、素焼きの上に掛けることから「素三彩」と呼ばれるようになったと思われる。墨彩は康熙年間に創作された製造方法で、濃厚な漆黒の輝きは個性的である。ヨーロッパに多く輸出された影響で、現存する作品の数は多くない。当時、ヨーロッパでも漆器が珍重されたと思われる。

この文物の収蔵番号は「中日瓷」となっている。これは、戦後の民國三十九年(1950)に日本側から台湾へ返された文物の一つであることによる。

墨地素三彩四季花鳥瓷方瓶

容器の幕開け──文房具と珍玩

本コーナーにおける材質は多様で、漆器をはじめ、竹木、石等の文房具、及び陳列品が含まれます。本院が旧蔵する古物漆器は明・清の雕漆が多くを占め、展示される明代の金鍍金、宋代の剔犀は新たに加えられた漆器の類で、中国の漆器芸術の豊かさを示しています。清代の中後期の乾嘉(考証学)の金石学派が興り、文人名士が金石篆刻とその収蔵に参与し、印を以て友と会し、印を以て芸術性を証明しました。新たに加えられた文房具の中で、民国時期の印章が最も多く、質も良く精緻であり、その殆どが名家の手によるものです。この度は篆刻の各名家が一点ずつ精選した作品を展示し、四角い世界の内に秘められる詩文、書法及び彫刻の高度な成果をご覧頂きます。各印章の持ち主と創作者間の誼みにより、民国初期の人文の粋を集めた全盛期が反映されています。清末民国初のもう一つの特色は、地方技芸の勃興にあります。展示される蘇州刺繍や巧みな象牙細工は、清代技術の気風を受け継ぎ、蘭州のひょうたん工芸は、地方文化の息吹を結集しています。福州の夾紵(乾漆)は、積極的な新しい造形技術の研究開発と漆の色彩に変化を与えています。


戧金彩漆福寿乾坤紋八瓣式大盤

戧金彩漆福寿乾坤紋八瓣式大盤

  1. 明 嘉靖
  2. 高さ4.2cm 盤径34.2cm 足径26.5cm

この八弁式盤は褐色の漆地で、底部の中央には、陰刻で金をはめた楷書による「大明嘉靖年製」の款がある。文様は金の輪郭で、内側には紅、緑、藍色、茶、白、黒の彩漆が施されている。色艶には深みと落ち着きがある。彫刻は精巧で、漆面は磨き抜かれている。盤の縁は八つに区分され、それぞれの空間の中央には山や岩、両側には花などが描かれている。花の上にはサンゴ、象牙、貨幣など仏教でいう八種の雑宝の装飾が施されている。

盤の中心には三つの扇が開いている。扇の骨の部分は黒、紅、茶色で、その上には金で縁取られた梅の枝が描かれている。まさに本物の扇そのものである。三つの扇の面にはそれぞれ乾坤双龍、万寿双鳳、松竹梅鶴を主題とした文様がある。乾と坤の二つの卦を運用し、盤長と呼ばれる仏法の印(長寿を意味する)、寿字結び、あるいは樹木の枝を折り曲げて表現した福、寿の字形などが見られ、まさに精緻を極めた描写が展開されている。これは明代の嘉靖年間の典型的な、文様を組み合わせた製造方法であるとともに、製造目的でもある。

本院に収蔵されている漆器は主に明、清の彫漆である。明代には彩漆および戧金の技法が流行した。この作品はまさに、本院に収蔵されている同時代の彫漆作品に比べて内容の豊富な佳品である。