時代とともに変化したキャプション
1. 最早期のキャプション
現在、明らかになっている最早期のキャプションは、故宮が台中から台北に移転してから作られた、赤い枠線入りの大きなカードです。「総統就任式」の展示品に附されたキャプションが、その例として挙げられます。これらのキャプションに年月日は記されていませんが、そこで取り上げている四幅の画作は、民国55年(1966)5月20日に第4代総統と副総統が就任したその日に発行された記念切手なので、民国55年(1966)5月に開催された展覧会で使われたものだとわかります。その時は1階の絵画用展示ケースに置かれました。
手描きの赤い枠線入りの小さなキャプションの方は、小さ目の展示ケースのために作られたものかもしれません。右側の1行目は他の行の2倍ほど太く、作品名を太文字で強調するのが、この時期に作成されたキャプションの特色でした。
2. 大風閣と蘭千閣
張大千氏と林伯寿氏より寄贈いただいたコレクションを記念して、民国59年(1970)に3階の東西両側の展示室を「大風閣」、「蘭千閣」と名付け、寄贈作品を順に展示することになり、民国60年(1971)4月に、張大千(民国)の模写「莫高窟一百五十二窟晚唐画瓔珞大士像五十八号」と、潘公寿(清代)の「臨趙孟頫中峰和尚像」が展示されました。このキャプション2枚はその時に使われたものかもしれません。
この頃には枠線が印刷されたキャプションが登場し、赤のボールペンで1枚ずつ枠線を入れずともよくなりました。各行の上下は丸みのある波形になっています。竹簡に書いてあるような雰囲気にしたかったのかもしれません。
3. 書法家が書いたキャプション
毛筆で書かれた早期のキャプションは、構成も明瞭で筆画も力強く趣があります。これらのキャプションは一体どなたがお書きになったのでしょうか。関連の資料や書風を見ると、早期の書画処に籍を置いた研究員には、江兆申や傅申、佘城、張光賓などがおり、書芸に秀でた書画家が揃っていたことがわかります。彼ら研究員は展覧会の準備期間中に、キャプションの説明文を用意し、時間をかけてそれを何枚も書き写したのです。これらのキャプションは過ぎ去った歳月の思い出というだけではなく、濃密な時代的意義が蓄積された、もう一つのコレクションでもあります。
4. 龍の模様入りのキャプション─手描きから印刷へ
民国70年代から80年代頃(1980~1990年代頃)に使用された龍紋枠入りキャプションの見た目はどれも似たような感じですが、これを見ると、台湾ではこの頃、文書の処理方法に変化が生じたことがよくわかります。この変化がキャプションの作成にも大きな影響を与えたのです。龍紋枠入りキャプションは文字を書くスペースがかなり狭くなっています。毛筆で書かれたキャプションも小数ながら存在していましたが、文字はやや小さくなっています。その後、作品名だけ隷書体で手書きし、その他の説明は中国語のタイプライターで打つようになり、更に時代を下ると、写真植字が使われるようになりました。
5. より親しみやすいキャプションを目指して
民国90年(2001)頃、観覧客が閲覧しやすく、理解しやすいように、キャプションから龍紋の装飾枠が消えてシンプルな枠線に変わり、説明文の文字も出来る限り大きくし、用語もより口語的になりました。そのほか、上下2層に分かれたアクリル板に中国語と英語の説明文を挟んで示すようになりました。
近年はデジタル技術の利用で迅速な処理や作成が可能となり、様々な主題の展覧会に合わせて、レイアウトも工夫されるようになりました。そのため、書画作品のキャプションは中国語と英語の説明文が一つにまとめられ、作品よりも目立たないよう配慮していますが、ご観覧の皆さまの目を楽しませ、作品に関連する大切な情報をお伝えできるようにしています。