筆墨は語る─中国歴代法書選,展覧期間  2018.04.01-06.25,会場 204
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展示概要

 書法とは、漢字文化圏特有の芸術であり、古くから中国文化の伝統の中で体系化され、日常生活にも深く根付き、古今を通じて人々に親しまれています。古より今に至る中国書道史発展の過程には、多くの人々が深い関心を寄せており、この度の特別展はそれらをご覧いただくために企画されました。

 秦漢時代(前221-220)は書道の発展における重要な転換期です。まず夏、殷、周三代以来、枝分かれしていた古文と大篆、銘刻が統一され、標準的な書体─小篆が誕生しました。一方、春秋戦国時代に登場した隷書は篆書が簡略化されつつ成熟し、漢代には一般的な書体となりました。簡略化を推し進める風潮が盛んになるにつれ、隷書も変化と分化を繰り返し、その結果、草書と行書、楷書が生まれました。書体は絶えず変遷を繰り返し、魏晋南北朝(220-589)に至ると、過渡的な書風や書体の入り混じった表現が現れるなど、長い年月をかけて変化する中で、結体や筆法が自ずと規律化されていく様子が見てとれます。

 続く隋唐時代(581-907)も重要な時期の一つにあたります。政治上の統一によって南北各地の書風が合流し、筆法が完成され、楷書が歴代を通じて使用される書体となりました。宋代(960-1279)以降、著名な書家の書蹟を後世に伝えるため、法帖が盛んに作られるようになりました。しかし宋代の書家は古典の継承だけでは飽き足らず、自分の個性や自然の趣を表現しようとしました。

 元代(1279-1368)に至ると、復古が提唱され、晋唐時代の書法の伝統が継承された一方、伝統に束縛されない意識もしだいに高まり、明代(1368-1644)になると、縦横に筆を揮う奔放な書風が登場しました。明人の書は非常に多彩な様相を呈し、行草書の表現は特に自由奔放で、当時のあくまで伝統に則った書法と対比をなしています。その間に個性を発揮して自らの書風を確立した書家も時代の波に呑まれることなく自己表現の道を歩みました。

 清代(1644-1911)以降は、三代及び秦漢時代の古文や篆書、隷書などが相継いで出土しました。これは書法にとっては天の恵みだったと言えましょう。実証的な考証学が勃興する中、書道界にも金石学が興り、刻石と法帖を照らし合わす事によって、書法の発展に古今の繋がりが見出せるようになったばかりでなく、篆書と隷書から古きを学びつつ新しい創造を目指すことが可能となり、新たな方向性が導き出されたのです。

展示作品解説

北魏

熒陽鄭文公之碑墨拓本

  1. 形式:冊頁
  2. サイズ:30x14

 北魏永平4年(511)、光州刺史鄭道昭(455-516)は、現在の山東省掖県雲峰山の中腹で巨石を見つけ、その一面を磨いて平らにし、亡き父鄭羲(426-492)の頌徳碑を刻した。一般に「鄭文公碑」と言いえば「鄭羲下碑」を指し、それ以前に天柱山にて刻された「上碑」ではない。上碑と下碑の書法は同一人物の手によるものだが、鄭羲の官歴に誤りが見られることから、道昭の部下が書写(書丹)した可能性も考えられる。
 この「下碑」の拓本は、筆画の太さが比較的揃っている上、円転が多く用いられており、円筆と篆勢で知られている。しかし、線を見ると、起筆と収筆に圭角が多用されて精神が露わになり、角ばった箇所と丸みのある箇所も調和的である。北魏皇室墓誌銘の風格に近いことから、或いは漢化の風気のもと、南朝書法が影響した結果とも推察できる。
王海嵐女史寄贈。

唐 李隆基

常道観勅墨拓本

  1. 形式:軸
  2. サイズ:113.8x60.3

 開元12年(724)、唐玄宗李隆基(685-762)は、飛赴寺の僧侶に常道観を道士に返還するよう手勅により命じ、観主の甘氏らは勅書に従って石碑を建立した。背面には勅命の執行者張敬忠の上奏文も刻されている。この碑は現在もその道観の三皇殿内にあり、唐代に仏教と道教が争った歴史の証でもあり、道教を保護した玄宗の姿勢もうかがえる。
  行書で書かれたこの勅書は筆力も安定し、点画にも重厚な感がある。鋒芒と圭角が目立ち、気力に満ちている。風格は721年に書かれた唐玄宗の「鶺鴒頌」に近く、盛唐の気風が感じられる。整った字形には傾きも歪みもなく、形態はやや広く、鷹揚かつ雄健な風格がある。

景祐二年中書付永興軍劄子碑墨拓本

  1. 形式:軸
  2. サイズ:157x73

 北宋の「永興軍」は「京兆府」とほぼ同義で、現西安市の管轄区域の一つにあたる。景祐2年(1035)2月、京兆に府学が設立された。同年11月に、現地の官員は府学の規定を遵守するようにとの公文書が中書省より下達された。府学主管陳諭が文書に従って建立したその碑は、西安西碑(陕西省西安市)に現存する。
  この碑文は行楷で書かれており、連筆による線の繋がりが見られる。洗練されているが勢いもあり、転折が多く稜角が露わになっている。そこに、撇(左払い)、捺(右払い)、横、豎(縦)による波形またはS字形の線が加えられ、剛柔が調和的に表現された、力強く瀟洒な印象がある。結体は向勢(向かいあった縦画が反りあう形)が多く、横は軽く縦は重い。間架は美しく整い、中宮(文字のほぼ中央)は緩やかに広がっている。褚遂良(596-658)と顔真卿(709-785)の書風を融合させた佳作だと言える。

宋 黄庭堅

書苦筍賦

  1. 形式:冊頁
  2. サイズ:31.7x51.2

 黄庭堅(1045-1105)は北宋を代表する詩人であり、書法家でもある。楷書と行書、草書に優れ、四大書家の一人に数えられる。
 この書に款印はないが、柳公権(778-865)の楷書と懐素(8世紀後半頃)の小草書の表現を融合させているのは明らかで、黄庭堅でなければなし得ない。筆画が長々と引かれた、右肩上がりの昂揚感ある字形が特徴的である。運筆は一部に若干の震えがあり、川面で櫓をこぐかのように揺れているが、線は洗練されており、書き損じたような箇所は皆無である。作者の集中のほどがよくわかり、心手ともに伸びやかだからこそ、筆勢にも力が入り、大字のように書かれた小字には、熟練の技による雄壮さと自然な美しさがある。

元 張雨

書唐人絶句

  1. 形式:軸
  2. サイズ:154.3x34.3

 張雨(1283-1350)、字は伯雨、号は句曲外史。元代江南地域を代表する文人の一人で、書法家、道士でもある。
 この作品は行草書で書かれているが、一文字ごとが独立している。「絶」や「涼」、「前」など、結体は幅広く揺るやかで、余白は均等、転筆はやや多く、趙孟頫の影響が見て取れる。全体に提按が少なく転筆が多い。線の太さは変化に乏しいが、角張った転折が丸みのある円転と強烈な対比をなしている。また、縦長の字形は右肩上がりとなっており、濃墨から飛白への変化に筆勢の速さが見え、力強く自在な表現が美しい。李邕と米芾に啓発されてから後に創出した、張雨独自の書風が見られる。

清 劉墉

臨万歳通天帖

  1. 形式:軸
  2. サイズ:185.2x50.6

 劉墉(1719頃-1804頃)、号は石庵。詩文、書法ともに優れ、官は体仁閣大学士に至った。濃墨宰相の称がある。
 この作品は「万歳通天帖」の内容を整理、または刪除してあり、明代晩期の気風の影響が見られる。顔体の風格による晋人の草書で、中鋒を多用しているが、提按がはっきりと見える。蔵鋒と露鋒が併用されており、角ばった折れよりも円転が多い。線の太さに変化が大きく、軽妙さと重厚な味わいを兼備している。字形の多くは平坦な方形で緩やかな広がりがあり、行気(文字間や行間の繋がりや流れ)と章法はともに非常に端整で、即興的、激烈な表現の強調も見られない。全体に緩急ほどよく、精神面の安定も感じられる。宮廷らしい堂々とした気風のある、雄健な書風だと言える。
譚伯羽氏、譚季甫氏寄贈。

展示作品リスト

朝代
作者
作品名
形式
サイズ (cm)
玄儒婁先生碑墨拓本
209x80.7
北魏
朱義章
始平公造象記明拓本
77.6x41.5
北魏
熒陽鄭文公之碑墨拓本(一)
冊頁
30x14 (左右各一)
北魏
熒陽鄭文公之碑墨拓本(二)
冊頁
30x14 (左右各一)
李隆基
常道観勅墨拓本
113.8x60.3
李邕
雲麾将軍李思訓碑墨拓本
113.6x110.3
景祐二年中書付永興軍劄子碑墨拓本
157x73
蔡襄
致杜君長官尺牘
冊頁
29.2x46.8
蘇軾
書尺牘
冊頁
28.7x66.1
黄庭堅
書苦筍賦
冊頁
31.7x51.2
米芾
書識語(二)
冊頁
28.2x39.7
張雨
書唐人絶句
154.3x34.3
宋克
書公讌詩
111.7x34.2
劉墉
臨万歳通天帖
185.2x50.6
永瑆
成親王行書五言聯
127.6x29.2 (左右各一)
趙之謙
楷書八言聯
145.3x38.6 (左右各一)