嘉慶年間、乾隆王朝を引き継ぎ、皇室の芸術収蔵品を整理・出版したことは、文化的意義から見て、前王朝が遺漏した収蔵品を整理し、更にこれらを完全且つ系統化した点にあります。一方、政治の観点から見ると、更に継統を伝承する法理性を公表しています。《欽定秘殿珠林石渠宝笈三編》の刊行や《天祿琳琅》後編の出版などは全てその一例です。乾隆帝王朝の文化出版は、基本的には継続的に充実させて成っています。しかし嘉慶帝王朝の文化出版もまた、前朝の欠落した部分を補充しただけではなく、新たに加えたものも少なくありません。例えば、《宛委別蔵・定熙朝雅頌集》・《全唐文》・《大清会典》等の書の編纂が挙げられ、滿・漢文学から国家法制の規則に至るまで、全て嘉慶帝王朝文化事業の貢献を明示しています。当コーナーでは、本院が収蔵する宮中文書に関する刊行物から代表的な文献を選りすぐり、嘉慶帝王朝の文化編纂の過程の継続と開拓の姿をご紹介いたします。
《欽定天祿琳瑯書目後編》
- 清 彭元瑞等奉敕編
- 清 嘉慶間內府写本
《欽定秘殿珠林石渠宝笈三編》
- 清 英和等奉敕撰
- 清 嘉慶間內府朱絲欄写本
《宛委別蔵總目提要》
- 清 阮元撰
- 清 嘉慶間內府朱絲欄写本
《欽定熙朝雅頌集》
- 清 鐵保等奉敕撰
- 清 嘉慶九年武英殿刊本
しかし、旗人の文学作品を評価し、旗人が漢詩を作るのを激励することは、清の歴代皇帝が一貫して満州語と騎馬民族の伝統を維持することを強調してきたこととは相反する。思うに、清朝も中葉に至り、 旗人の漢化が日増しに深化し、満・漢文化が融合し、嘉慶帝も満州族の漢化はすでに不可逆的な現象になっていることを深く認識していたに違いない。書中の序文では、「輝しい武功で開かれた清は、平和な時代を迎え、文化・教育が盛えている。詩文の吟詠を、清王朝はあまり重視してこなかったが、思いのたけを表すのも、またこの栄えある世にふさわしい」と指摘している。これによって、旗人が漢語と騎馬の双方を提唱し続ける他、嘉慶帝は、文学作品は世の中が栄えている証拠であると考えていた。旗人に対し、文学創作の奨励を通して、その心を正し、堕落した生活態度を改めることは、八旗道德腐敗を矯正するための一種の文化的政策だったのである。
《欽定全唐文》
- 清 董誥等奉敕編
- 清 嘉慶年間武英殿刊本