博物館の特色は、収蔵品の内容とその質で決まります。国立故宮博物院は宋代から清代まで宮廷が蓄積してきた文物の精華を収蔵の核心としています。しかし民国十四年(1925)開館し、五十四年(1965)台湾で復活して以来、絶えず購入や徴集を行い、また国内外の公私寄贈も受け、往年の宮廷の収蔵で、欠けていた部分を、補うことができ、その範囲もより広くなりました。本単元は、「平図一堂に会す」、「観海堂の蔵書」、「珍蔵購買と寄贈」の三項目のテーマがあり、それぞれ 元北平図書館収蔵の善本図書、清末、駐日公館の随員であった楊守敬(1839-1915)が日本から持ち帰った珍しい漢籍と和刻本をはじめ、各界より寄贈された宋・元の善本、地方志書、清人詩文集等に分けてご紹介致します。公開展示される文物は、宋、元、明、清四朝にわたり。内容と版本は豊富で多様です。
数少ない秘蔵されてきた書房の貴重な宝物、若しくは民間で刊行された堂々たる大著などのいずれを問わず、全て貴重な版本の考察資源と独特な時代の風貌を温存しています。刻印の謹厳さや精雅な紙墨を論じても、その素晴らしさは人を惹きつけて止みません。一部の善本の鈐印は累々と重なり、その間に名家の題識を鑑賞出来る他、しっかりと収蔵した形跡を知る助けともなります。字の行間は更に修造家が書を愛し大切にしていたかが見て取れ、人を懐かしむ情に感慨を覚えます。
観海堂の蔵書
観海堂は清末の蔵書家である楊守敬の書楼名です。収蔵されている書籍は当博物院善本の中でも独自の特色を有しています。楊氏の字は惺吾、号は鄰蘇老人、湖北宜都の人。生涯をかけて金石考証学を研究し、地理一門では、ことに現代の冠(トップ)と称されています。彼はまた書法にも長じており、篆書、隸書、草書、行書、楷書のいずれの書体にも長け、在日期間中は日本の書壇を風靡し、「近代日本書道の祖」の誉ある名を得ています。
光緒六年(1880)から、楊守敬は駐日公使の何如璋(1838-1891)、黎庶昌(1837-1897)の招請により、前後して公使館の隨員を勤めました。この間、彼は多方面にわたり珍しい書籍の収集に留意し、中国から散逸した書籍のみならず、日本や朝鮮で刊行された漢籍や貴重な鈔本、医学書も収集し、その成果は目を見張るものでした。十年(1884)、楊氏は任務を終えて帰国する際、日本滞在期間中に得た図書を全て持ち帰りました。後に楊氏は、まず湖北省黃州に「鄰蘇園」(この名の意は蘇東坡が遊覧した隣を意味する)を建てて群書を収蔵。次いで武昌菊湾に新築した「観海堂」の書庫に移しました。民国四年(1915)、楊氏逝去の後、観海堂の蔵書は北洋政府が購買し、その中の一部は、「松坡図書館」に引き渡され、現在は「中国国家図書館」が所蔵しています。残りの約半数は、「集霊囿」に置かれ、十五年(1926)、政府より故宮博物院に引き渡され、保管されました。抗日戦争期間中、観海堂の蔵書の凡そ1,634部、15,491冊は文物と共に難を避け南遷、再度西南に移動し、次いで国共内戦時、台湾に運ばれました。
平図一堂に会す
光緒・宣統年間、清朝は新政を推進し統治機構全体を変えて、自国を強くすることを期していました。宣統元年(1909)、軍機大臣張之洞(1837-1909)らは京師図書館の成立を奏請し、学部が管轄(故に学部図書館とも称した)することとなり、翰林院、国子監、内閣大庫所に収蔵されていた宋、元、明の宮廷書庫に僅かに残されていた書物を収納しました。また各省から徵集して得た豊富な蔵書も加わりました。当時、京師図書館が収蔵する善本のレベルは優れており、国の冠たるものと言われました。
民国十七年(1928)、京師図書館「国立北平図書館」と、その名を改めました。二十年(1931)九一八事変の勃発後、「国立北平図書館」の書籍や文物は次々と箱に詰められ南遷し、それぞれ上海、南京などの地に保管されました。三十年(1941),袁同礼(1895-1965)館長は駐米大使であった胡適(1891-1962と連携し、特選した一○二箱の善本をアメリカに搬送し、「アメリカ議会図書館」に委託保存されましたが、五十四年(1965)になり、当博物院の蒋復璁(1898-1990)院長(兼国立中央図書館館長)は回収を建議し、「アメリカ議会図書館」の同意を得ました。同年の年末、一○二箱の善本図書は台湾に安全に運ばれました。また「国立北平図書館」に収められていた十八箱の明清古地図は、三十八年(1949)に、まず当博物館の文物と共に台湾に運ばれました。七十四年(1985)、行政院は一○二箱善本と十八箱の地図を国立故宮博物院に渡し、収蔵することに同意。源を同じくする清の宮廷の善本地図と当博物院の文物は、こうして再び同じ場所で収蔵されることになったのです。
珍蔵の購買と寄贈
当博物院は民国五十四年(1965)、台湾で復院した後、国内外の收蔵家より、大切に収蔵されていた図書の寄贈が後を絶ちませんでした。また七十四年(1985)からは政府の国家予算の中に組み込まれ、世間で読まれている書物や個人が売り渡す文物精品も一心に購入し、この五十余年間で、善本古書の数は計四萬一千余冊に上りました。新たに故宮で収蔵されることになったこれらの書籍は、最も適切に整理、保護されており、展覧を通して参観者の鑑賞に供し、また学術界に開放し、研究の参考にしてもらうことこそが、善本古書の価値と内包を最も具体的に体現出来ると確信しております。
当博物院が善本の寄贈の受入れを開始したのは、民国六十年(1971)のことです。前総統府戦略顧問の徐庭瑤(1892-1974)将軍、蔵書家の沈仲涛(1892-1980)氏、元国防部長の黃杰(1902-1995)将軍、元駐バチカン大使の陳之邁(1908-1978)氏、元国史館館長羅家倫(1897-1969)氏、当博物院秦元院長孝儀(1921-2007)氏をはじめ、国防部史政局、香港中山図書館、各界の君子賢者も合わせ、自らのことは二の次にして公のために、慨然とした心意気で当博物院にご寄贈下さいました。 内、沈仲涛氏の「研易楼」に所蔵されていた宋・元・明の貴重な書物は、最高の善本と称されています。国防部史政局から移管された華北各省県地方志書は国内の多くの如何なる図書館も及びません。「香港中山図書館」より寄贈された清末民初の古書は、近現代中国図書出版の変遷と発展をより深く知ることができます。このほか、当博物院は八十一年(1992)より、古書の購買を開始し、種類は繁多を極め、內容もまた経、史、子、集の各部に及んでいます。例えば《新刊山堂先生章宮講考索》、《大威徳陀羅尼経巻》、《童渓王先生易伝》、《蘇患三端》、《守城全書》等は、均しく、稀にみる秘蔵の書籍です。総じて、故宮博物院が善本古書収蔵の重鎮に発展し得た所以は、正に国内外漢学界の肯定にあり、この二類の蔵書補完の賜であると衷心より敬意の意を表する次第です。