顧媚(1619-1663 、一説には1664)、または顧眉。字は眉生、号は横波。江蘇上元(現在の江蘇省南京市)の人。青楼の女性だが詩画ともに優れ、音楽も巧みにこなしたという。余懐著『板橋雑記』には「物腰柔らかで美しく、優美な立ち居振る舞いが際立っている。」と形容されている。崇禎年間に龔鼎孳(1615-1673)の妾となった。
顧媚は蘭の絵を得意とした。画風は趙孟頫の筆意に倣ったもので、流麗秀逸な筆遣いと清雅な趣の墨色が特徴的である。この作品の題跋には、黄媛介(1614、一説には 1620-1669 前)や蔡潤石(1616-1698)、蒋季錫(清代康雍年間に活動)、姜桂(?-1762)等、当時の才女達が名を連ねており、そうした意味でも非常に貴重な作品だと言える。蘭千山館寄託作品。
石の間に茂る蘭の花が描かれており、構図に独特の美しさがある。石は簡筆で輪郭を取り、濃淡乾湿異なる皴擦で斜面や石の質感が表現されている。白描による蘭は熟練の筆法による双鉤となっており、筆の提按に明らかな軽重の変化が見られるが、筆致はあくまで流麗である。奔放に筆を走らせたかのように見える蘭の葉も乱雑な感はなく、飄逸として味わい深い中に生き生きと洗練された雰囲気がある。独自の個性も感じられ、女流画家の弱々しさは全くない。
王穉登(1535-1612)、江蘇蘇州(江蘇省蘇州市)の人。巻末に「秋老粧楼雨似塵、筆牀書卷鎮相親。一枝写出湘皋影、倣仏淩波解珮人。」と、草書で記された題がある。青楼の才媛と文壇の領袖間の交情が感じられる。
馬守貞(1548-1604)、幼名は玄児と玄玄子、字は月嬌、号は湘蘭。金陵(現在の江蘇省南京市)の妓女。秦淮八豔の一人に数えられる。詩文と絵画の名手として広く名を知られた。暹羅国(タイの旧名)は馬守真の絵画を貴重な逸品と考え、使者を遣わして高額で購入したと伝えられる。
ひっそりと静かな庭の眺めが描かれている。蝶や蛾が飛び交い、タンポポやムラサキウマゴヤシ、スミレが咲いている。清雅かつ秀麗な色遣いで、のどかな雰囲気が漂う。右上部に王穉登による五言絶句「雑花三両叢、種種争妖麗。粉蝶故飛来、低徊不忍去。」が書されている。王穉登は馬守真の没後、守真の伝記を作成し、その死を悼む詩十二絶句を詠んだ。
邢慈静(1573-1640以降)、号は蒲団主人、蘭雪齋主など。山東臨邑(現在の山東省臨邑県)の人。書画家の邢侗の妹で、貴州左布政を務めた馬拯の妻。書画ともに優れ、竹石や白描による菩薩像を得意としたほか、詩文も巧みであった。著書に『非非草』がある。
濃紺の紙に金泥で大士(観世音菩薩)が描かれている。荘厳な面持ちの菩薩は数珠を持ち、蓮の花弁上に立っている。衣の裾が翻り、飄逸として脱俗的な姿となっているが、華奢で女性的な柔らかさと清らかな雰囲気を湛えている。上部に金泥を用いた小楷で讃詞が記されている。この端正かつ重厚な作品は、仏教徒の信仰心をより深めることだろう。
趙文俶(1595-1634)、字は端容、江蘇長洲(現在の江蘇省蘇州市)の人。貢生(国子監で学ぶことを許可された者)の文従簡の娘で、文徴明の玄孫にあたる。趙霊筠の妻。幼少の頃から聡明で絵画を巧みにし、日常よく見かける花々や蝶などの昆虫を写生した。
これは1630年、趙文俶が36歳の時の作品である。生い茂る桑の枝葉と赤い実、枝を這う3匹の蚕が描かれている。清新な画面に好もしい雰囲気が漂う。全体に細かく丁寧に描写されており、景物も明瞭でバランスがよい。緑の葉と赤い実、白い蚕─色の組み合わせも絶妙である。簡潔な構図がまた爽やかな風情をかもし出している。
林雪(17世紀に活動)、字は天素、閩(福建)の妓女。後に西湖に寓居。詩を詠むことができ、書画にも優れていた。董其昌著『容台集』には、「絵画をよくする閨秀がいると聞く……まずは林天素、続いて王友雲。天素の絵は群を抜いてすばらしく、友雲の絵は格調高く趣深い」と記されている。
女流画家が複雑な画技を用いて山河を描くことは稀で、平淡で素朴な味わいの小品が多い。この作品は山水を描いた長巻だが、画力も十分で得がたい名品だと言える。水路が連なる江南の風景が描かれており、点在する建物や小舟が彩りを添えている。筆致も秀逸で柔らかく、どこか愛らしい雰囲気が漂う。倪瓉と黄公望になぞらえて賞賛した者もいたほどである。蘭千山館寄託作品。