Exemplar of heritage: Fan Kuan and His influence in Chinese Painting
Time 2015/7/1-9/29
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タイトル:「谿山行旅図」の継承

『宣和画譜』には内府所蔵の范寛(950頃-1031の間)の作品計58点が記載されていますが、「谿山行旅図」の名は見当たりません。この作品名は詩塘にある董其昌(1555-1636)の跋文から命名されたものでしょう。

北宋初期に描かれた「谿山行旅図」は巨碑式山水画の最良の典範だと言えます。この作品には范寛本人の名款のほか、宋代の銭勰(1034-1097)と明代、清代の押印もあり、流伝のおおよその経緯が見て取れます。この作品を模写した後世の画家は多く、本院所蔵の作品では、明代の董其昌の「倣范寛谿山行旅図」、かつては范寛作とされていた清人の「行旅図」、唐岱(1673-1752以降)の「倣范寛山水」などがあります。これらの作品は掛軸や冊頁など形式は様々で、構図や景物の配置はほぼ同じですが、原作の雄壮偉大な眺めには遠く及びません。

宋 范寛 谿山行旅図

宋 范寛 谿山行旅図

范寛(950頃-1031の間 )、字は中立、華原(現在の陝西省耀県)の人。山水画の名家。初めは李成(916-967)や荊浩(10世紀前半)を学んだが、後に長年の自然観察を通して独自の画風を確立した。

この作品の構図は三段に分かれており、下方の巨石の辺りが近景、ロバの隊列が見える箇所が中景で、遠景には高々と聳え立つ主山が描かれている。山の中腹下方に余白を生かした雲霧が漂い、空間の奥行きが効果的に表現されている。全体に角ばった墨線で輪郭が取られ、短い雨点のような皴筆で土石の質感が描かれている。巨大な山体とロバの隊列が強烈な対比をなし、雄壮な眺めに圧倒的な気勢が感じられる。右下樹木の中に「范寛」の署名がある。

宋 范寛 行旅図

宋 范寛 行旅図

『石渠宝笈続編』には「宋范寛行旅図」という画題で記載されている。范寛(950頃-1031の間)の「谿山行旅図」と比較して見ると、結構は完全に一致するが、橋の位置がややずれている。画幅のサイズも「谿山行旅図」より小さく、原作の雄壮かつ高大な感はない。

『石渠宝笈続編』には「宋范寛行旅図」という画題で記載されている。范寛(950頃-1031の間)の「谿山行旅図」と比較して見ると、結構は完全に一致するが、橋の位置がややずれている。画幅のサイズも「谿山行旅図」より小さく、原作の雄壮かつ高大な感はない。