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晋 王羲之 快雪時晴帖
- 国宝 展示期間制限あり
- 文化部により指定(2012年3月)
王羲之(303-361)、東晋の書法家。今草と行書の新たな典範を創出し、世に「書聖」と称えられる。
「快雪時晴帖」は王羲之による尺牘(書簡)で、主に行書で書かれているが楷書の謹厳さも見られ、緩急ほどよくゆったりと鷹揚な風と流麗かつ秀美な趣がある。王羲之の真蹟は早い時代に失われてしまい、この「快雪時晴帖」も唐代に模写されたものだが、王羲之の書法を理解する上で最も重要な視覚的資料とみなされるようになった。この作品は状態も極めてよく、流伝の経路も明らかで、南宋高宗や金章宗、元内府のほか、明代の著名な収蔵家の収蔵印も見える。乾隆帝はこの作品を「三希」の一つとして大切にした。特殊な歴史や文化、美術的価値を併せ持つ作品である。
(2017/10/04-11/14) -
宋 徽宗 詩帖
- 国宝 展示期間制限あり
- 文化部により指定(2012年3月)
宋徽宗帝(1082-1135)、北宋第8代皇帝。書画ともに優れていた。真書と行書は唐代の薛稷と薛曜を学び、独自の書体「痩金書」を創出した。
この作品は赤い界線を引いた絹布に五律一首が書いてある。印は「御書」、末題に「宣和殿製」とある。全体を通して筆画は細いが力強い。起筆と収筆で意図的に蔵鋒または露鋒、転折や提頓の跡を見せている。正に拖尾にある陳邦彦の跋文「以画法作書、脱去筆墨畦逕。行間如幽蘭叢竹、泠泠作風雨声。真神品也。」(絵画の作法で書かれた書であり、筆墨の垣根を越えている。行間にひっそりと蘭が花開き、竹林が生い茂る中、涼やかな風雨の音色が聞こえてくるようで、正しく神品である。)に記されているとおりである。徽宗帝の伝世作は中楷か小楷による題簽が多く、5寸もの大字の痩金体で書かれたこの作品が極めて貴重なものであることは間違いない。
(2017/10/04-11/14) -
唐人 宮楽図 軸
- 国宝 展示期間制限あり
- 文化部により指定(2012年3月)
この作品は横長の画面となっているが、おそらく宮中で使用されていた装飾用屏風の一部を掛け軸に表装したものと思われる。後宮の女性たち10人が長方形の大きな机を囲んで腰を下ろし、お茶を飲んだり、「酒令」という遊びに興じたりしている。画面上部に描かれている4人は篳篥や琵琶、古箏、笙などの楽器を奏で、この茶会の雰囲気を盛り上げている。
作者の名款はないが、人物の様子やふくよかな体つき、衣服や髪の結い方などを見ると、全てが唐代女性の好んだスタイルや流行に合致する。張萱か周昉の画風に影響を受けた画家の手による作と推測できる。本院所蔵品の中で一千年以上前に描かれた貴重な作品の一つで、唐代晩期の宮女たちの姿が最もよく表現された名作である。
(2017/10/04-11/14)宋 文同 墨竹
- 国宝 展示期間制限あり
- 文化部により指定(2012年3月)
文同(1018-1079)、字は与可。詩文と書法に優れていた。また、墨竹画の基礎を築いたことから、後にその創始者として「湖州派」と称された。
この作品には崖から垂れ下がる竹の一枝が描かれている。しなるように曲がった幹は龍の如く力強い。余白で表現された竹の節が上下に連なっている。筆法は中鋒を用いて、墨色の濃淡に合わせて筆先が舞い飛んでいるかのように一気呵成に描き上げられており、上へ下へと翻る葉の裏表が生き生きと、総括的に表現されている。竹の持つ生気溢れるイメージも真に迫った表現で描かれており、北宋時代の画家は物象の理を重んじたが、その時代性の証とも言える。この作品に名款はないが、他に例を見ないほどの水準に達しており、作者の印記も二つ見られることから、間違いなく文同の真蹟だと考えられる。北宋時代の文人水墨画を代表する作品である。
(2017/10/04-11/14)
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宋人 秋塘双雁
- 国宝 展示期間制限あり
- 文化部により指定(2012年3月)
カリ(雁)はガチョウと同じくカモ目カモ科に属す鳥で、古代はどちらも「雁」と呼んだ。この作品には秋の風景─微かに風が吹く池の片隅が描かれている。2羽のガチョウが浅瀬で羽根を休めている。その周囲に生える黄色く枯れた葦草やタデ、枯れた蓮の葉が趣を添えている。突然飛び立ったカワセミが静けさを打ち破り、1羽のガチョウが首を伸ばしてカワセミを眺めているが、悠々として驚いている様子はない。
岸辺や水辺の植物、枯れ果てた蓮で円形の構図が作られており、それらが野鳥の視線と動きを通して、互いが呼応する関係が画中に形成されている。構図と筆法を総体的に見ると、崔白の風格に近く、自然の生物に対する仔細な観察と丹念な描写が見られる。このような巨幅の北宋花鳥画の秀作は少なく、現存する徽宗朝画院作品中、秋の水辺と野鳥を題材とした傑作だと言える。元 呉鎮 双松図
- 国宝 展示期間制限あり
- 文化部により指定(2012年3月)
呉鎮(1280-1354)、詩文に優れ、草書も得意とした。墨竹画や漁隠山水図などが多く、元代四大家の一人に数えられる。
この作品は1328年に制作されたもので、現存する呉鎮の画作の中で最も早い時代の作品である。画上に名のある雷所尊師とは、道士の張善淵のことである。前景に絡み合う2株の大木が描かれている。旧題は「双松」だが、この大木は檜である。その後ろにうねうねと曲がりくねるせせらぎが流れ、岸辺には家屋が点在し、平遠な眺めが広がっている。樹木と岩石の筆法は李郭と董巨派(董源、巨然)を継承したもので、潤った墨色、雄勁な筆力、遠近の差も明瞭で、落ち着きのある平淡な韻致の内に古意が感じられる。呉鎮の芸術性の高さが反映されているだけでなく、呉鎮と道教との関わりや、元代の李郭(李成、郭熙)と董巨派を研究する上でも重要な資料の一つである。
(2017/10/04-11/14) -
大理国 張勝温 画梵像
- 国宝 展示期間制限あり
- 文化部により指定(2012年3月)
大理国(937-1254)で制作された画巻中唯一の伝世作で、「南天瑰宝」と讃えられる。
巻末の題跋によれば、1172年から1175年にかけて制作されたもので、主な作者として張勝温の名が記されている。この作品は4段に分かれており、利貞帝(段智興)の礼仏図、仏教に関わる数百名の人物、「多心(般若心経)」と「護国」の宝幢、十六国王図など、顕教と密教、大理仏教に関連した内容となっている。細部まで丹念に描写されており、衣冠の特徴も文献の記述に合致にしている。画風は唐代から宋代の道釈画、チベットの仏画、東南アジアの造像とも深い関わりが見られ、大理国の歴史や宗教、文化、芸術、中古時代における国外との交流などを研究する上で、筆頭に挙げられる作品である。
(2017/10/04-11/14) -
宋人 千手千眼観世音菩薩
- 国宝 展示期間制限あり
- 文化部により指定(2011年4月)
渦巻く波涛、湧き上がる祥雲─千手千眼、三十二面の観音菩薩が四大天王の担ぐ七宝蓮台に立っている。口ひげとあごひげを蓄えた観音菩薩は男相だが眉目秀麗で、優しく穏やかな表情は女性らしくもある。上方には諸仏、下方には天龍八部の姿が見える。左右両脇に合掌している菩薩と法器を持った菩薩が脇侍として控えており、荘厳な雰囲気が漂う。全体に力強いが細く、動感のある中鋒で描かれている。観音菩薩の千手千眼、様々な印相、法器、天衣と瓔珞、蓮台の宝飾など、いずれも艶やかだか脱俗的な着色が実に美しい。作者の名款は見えないが、12世紀末に制作された仏画の名品である。
(2017/10/04-11/14)
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元 趙雍 駿馬図
- 国宝 展示期間制限あり
- 文化部により指定(2012年3月)
趙雍(1291-1361)、字は仲穆、趙孟頫の次男。家伝に従って書画の技法を学び、人物や馬の絵を得意とした。
この「駿馬図」は1352年の作で、草地で戯れる駿馬や松の木に寄りかかって一休みする馬夫など、牧歌的な風景が描かれている。一般に中国人が描く馬図の馬は人材を象徴し、馬夫は官吏や帝王を象徴することから、この作品にも「無為の治」や「悠々自適の俊才」などの寓意が込められている。全体に中鋒で線を描き、青緑で着色した上に図案のように見える樹木の葉が加えてあり、唐人の古拙な趣に満ちている。構図は山水の比重が大きく、幽遠な空間が広がっている。また、文人山水画ならではの神彩も具えており、元代文人画における復古の風潮や芸術上の成果が十分に感じられる。
(2017/10/04-11/14)宋 徽宗 渓山秋色図
- 重要古物
- 文化部により指定(2012年10月)
重なる山々や川岸の斜面に生い茂る木々が画面左側上部に寄せて描かれている。山の頂は丸く、周囲は薄墨でぼかされている。山々の間をたなびく雲霧や川の流れで叙情的な詩意に満ちた山水のイメージが表現されている。画上に徽宗帝(1082–1135)の花押と印記「御書」も確認できるが、この作品は実景の多くが画面の左半分に配されている点が、北宋の中軸構図による巨軸山水画とは異なっている。画風から推測すれば、南宋初期に制作された作品だと考えられる。北宋絵画特有の堂々たる主峰が聳え立つ雄大な風格が、叙情性を具えた南宋山水画へと変化する時代的な特徴が見て取れる。細緻な筆法には李郭派の筆墨や淡墨を用いた文人的な趣も感じられ、極めて重要な芸術的表現が見られる。
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唐 韓幹 牧馬図
- 国宝(未指定)
- 本院による暫定的分類
白馬にまたがる奚官とその横を並走する黒い駿馬が描かれている。画上に宋徽宗(1082-1135)の題字「韓幹真蹟、丁亥御筆。」が見える。
韓幹(8世紀)は唐玄宗(在位期間712-756)時代の鞍馬画の名家。画風を見ると、奚官(馬の飼育や調教を担った馬役)の容貌や馬の丸い臀部、短い脚など、いずれも唐代の墓室の壁画と同様に描かれている。造形を見ても人馬ともに雄健で、肉付きがよく豊満な唐代絵画の特徴が見て取れる。しかし、鋭角的な線が連続する箇所があるほか、力強いが繊細な線、鞍にかけた敷物の色などは、徽宗時代の作風に属すものであることから、この作品は真蹟ではなく、北宋末期の優れた模写の一つだと考えられる。『名絵集珍』冊第三開収録。 -
宋 燕文貴 奇峰万木
- 国宝(未指定)
- 文化部により指定(2011年4月)
高山の景色が描かれている。遠方の山々は雲気を突き抜け聳え立ち、近景は頂上のみ描かれている。3組の山体が絶妙に呼応して、余白で表現された雲霧によく映え、画面は小さいが、雄大な風景が遥か遠くまで見渡せるように感じられる。皴染を用いて質感を表現した山石の断面は李唐の筆法に近く、「万壑松風」と「江山小景」の間の転換点とみなすことができる。
この作品に款印はなく、題箋から取られた旧称は「燕文貴奇峰万木」だが、風格から見ても北宋時代の院画家である燕文貴(967-1044)と関わりはなく、おそらく南宋初期に李唐の影響を受けた画家が丹念に仕上げた作品だと思われる。宋 趙伯驌 風檐展卷
- 重要古物
- 文化部により指定(2011年4月)
川に面した山々、庭園の湖石が彩りを添え、背の高い松や竹に囲まれた、文人が理想とした閑居が描かれている。東屋の中に置かれた衝立の前には寝台があり、漆塗りの机には書巻や磁器の瓶、香炉などが置かれている。文士はゆったりとくつろいだ様子で右手に羽扇を持ち、左肘は脇息にもたれている。左側にいる二人の仕女は欄干に寄りかかっている。右側にいる二人の童僕は茶道具を持って文士のいる東屋に向かっているところである。題簽には南宋の画家趙伯驌(1124-1182)の名があり、対幅の書法は乾隆帝御題である。
宋人は「焚香、喫茶、絵画、生花─4種の趣味」(南宋『夢粱録』)を重んじたという。この小さな扇面には、絵画を観賞しながら茶を味わう宋代の文人たちの生活文化が反映されているのみならず、宋代の園林建築や家具などの特色も記録されており、非常に貴重な作品だと言える。 -
宋 李迪 秋卉草虫
- 重要古物
- 文化部により指定(2011年4月)
李迪(12世紀)は南北宋時代に前後して宮廷画院に籍を置き、花鳥や草虫、犬猫などの題材に優れていた。南宋早期の宮廷で制作された花鳥画や竹石画の分野では傑出した宮廷画家である。
この作品には、葉の上でカマを構えたカマキリがコガネムシを捕らえようとしている場面が描かれている。危険を察知したらしいコガネムシは慌てて飛び立ったようだ。獲物に逃げられたカマキリは逃げ去るコガネムシをやむなく見送っている。昆虫たちが生死を賭けた瞬間の描写が観る者の心を打つ。美しく丹念な着色と色調の変化、植物と昆虫が放つ躍動感は観る者を魅了し、徽宗画院が追求した色彩美と質感を備えた風格を、この画家が継承していることを示している。宋 四家法書
- 国宝(未指定)
- 文化部により指定(2015年1月)
1作目の「海隅帖」は蔡襄(1012-1067)が30代の頃に韓琦に宛てた尺牘(書簡)で、北宋顔体書の佳作でもある。2作目は蘇軾(1036-1101)が52歳の時に書いた「書次韻三舍人省上詩」である。深い落ち着きと安定感があり、法に従いながら法に捉われることのない、尚意書風の典型だと言える。3作目は黄庭堅(1045-1105)の「致明叔同年尺牘」で、運筆には懐素の円転の法が交じり、勁健でありながら流麗な筆致で、多くの字形が右肩上がりとなっており、高揚感がある。4作目は米芾(1051-1108)が49歳の時に書いた「道味帖」で、筆勢の軽重、緩急の変化などの妙技が見られる傑作である。清代初頭の収蔵家李宗孔により北宋四大家の名跡が一つに表装されたのがこの「四家法書」で、書史研究における旗標と言うに足る作品である。
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宋 朱熹 致会之知郡尺牘(秋深帖)
- 重要古物
- 文化部により指定(2011年4月)
朱熹(1130-1200)は南宋時代の著名な思想家である。国家に新しい秩序を築くことを目指し、生涯を通してその志を貫いた。この尺牘(書簡)は紹熙5年(1194)8月に知潭州(湖南長沙)の職を退いてから都へ戻る道すがら、潭州の政務の引継ぎに関してしたためたものである。冒頭では悲しみを抑え切れない様子で「国葬」について触れているが、これは同年6月に崩御した孝宗太上皇の件である。しかし、7月に光宗から寧宗へ譲位された際は宮廷で再び自身の思想と学問を説く機会を与えられ、朱熹の悲しみは喜びに変わった。全体の筆致はすばやく、点画には円みがある。流麗な線には落ち着きがあり、行気(文字間や行間の繋がりや流れ)も一貫しており、ごく自然だが洗練された趣がある。宋代の理学を集大成した朱熹は中国文化に絶大な影響を与えた。現存するこの書跡は非常に貴重なものだと言える。
宋 陸游 致原伯知府尺牘(秋清帖)
- 重要古物
- 文化部により指定(2011年4月)
陸游(1125-1210)、字は務観、号は放翁、浙江紹興(現在の浙江省紹興市)の人。脱俗的な天性の才に恵まれ、詩文に優れていた。その作品は独創的な美と強烈な情感に満ち、時代の気風も反映されている。南宋時代の重要な詩人の一人である。
これは乾道6年(1170)に友人の曽逢(字は原伯)に宛てた尺牘(書簡)である。陸游は南宋文学の大家だが、南宋時代を代表する書家でもある。「学書当学顔」(書は顔真卿に学ぶことである)と述べたほか、「跋東坡帖」を繰り返し書くなど、蘇軾の書を深く会得していた。この尺牘は顔真卿と蘇軾から学んだ筆法を具体的に実践したもので、豊かな動感が溢れる、中年以降の尺牘書法の典型である。北宋の蘇軾の風格を踏襲した陸游の代表作だと言えよう。 -
元 趙孟頫 致中峰和尚尺牘(醉夢帖)
- 重要古物
- 本院による暫定的分類
趙孟頫(1254-1322)、字は子昴、号は松雪道人、浙江呉興(現在の浙江省湖州市呉興区)の人。宋宗室の末裔で、元朝に出仕して翰林学士となった。書画ともに優れ、世に冠絶した大家として名高く、元代美術界の領袖的存在だった。
この尺牘(書簡)は趙孟頫が高僧中峰明本(1263-1323)に送ったものである。二人は大徳年間に知り合い、趙夫妻も揃って仏弟子として師事した。趙孟頫は延祐6年(1319)に退官して南方へ帰ったが、夫人の管道昇は山東で病死した。本院所蔵の『趙氏一門法書』冊には十一通の尺牘が収録されているが、その多くが亡き妻の法事を明本に懇請したもので、一文字ごとに真心がこもっている。本作はその内の一通である。全体に成熟した筆法が見られ、筆を走らせれば形を成して独自の趣をかもし出し、古風かつ高雅な気韻が漂う。王羲之に継ぐ名家と言うにふさわしい。元 衛九鼎 洛神図
- 国宝(未指定)
- 文化部により指定(2013年12月)
衛九鼎(14世紀頃)、字は明鉉、浙江天台(現在の浙江省台州市)の人。山水画をはじめとして、人物画、界画もよくした。
雲に乗る洛神宓妃が白描法で描かれている。浪が打ち寄せる広大な水面を滑るように進んでいる。柔らかな衣や帯が風を受けて翻りはためく様子は、龍が舞い遊んでいるかのようにも見え、超俗的な美が十分に表現されている。ほかの洛神画の多くが叙事性の強い複雑な場面を描いたのに対して、この作品はただ一人のみを主題としており、気品高く古風な趣がある。中段は大きく余白が残されているが、左側に補修の跡があり、右側に倪瓉の題跋がある。遠方に見える薄墨で描かれたなだらかな山々は後から描き加えられたものだろう。本院が所蔵する衛九鼎の絵画は本作一点のみで、非常に貴重な作品でもある。 -
元 陳琳 渓鳧図
- 重要古物
- 本院による暫定的分類
陳琳(1260頃-1320)、字は仲美、浙江杭州(現在の浙江省杭州市)の人。趙孟頫の親しい友人で、趙孟頫と同じく宋代から元代にかけて名を知られた画家である。
この作品には岸辺に咲く芙蓉の下にたたずむマガモが描かれている。詩塘にある仇遠の題跋によれば、陳琳が趙孟頫の松雪斎を訪ねた際に即興で描いたもので、趙孟頫が補筆したという。カモの細緻な用筆は紋切り型の平板なものではなく、波紋や芙蓉の花にも溌剌とした大胆な筆致が見られ、野趣に満ちている。元代を代表する大書画家の合作は非常に珍しい。筆墨には趙孟頫が提唱した「書法の用筆を絵画に取り入れる」という観念も生かされており、筆遣いや墨色の濃淡の変化がまた別の趣をかもし出している。元 張雨題倪瓉像
- 国宝(未指定)
- 文化部により指定(2011年9月)
張雨(1283-1350)の題賛によれば、この絵の主人公は「元四大家」の一人に数えられる倪瓉(1301-1374)だという。画中の衝立に描かれている山水画は倪瓉の画風を模倣している。また、仏画によく登場する維摩居士の坐像に似せることにより、清朗な隠士のイメージを形作っている。
全体に意図して淡い着色が施されており、中央の倪瓉は筆を手に紙を広げて、何かを書くことで心の内を吐き出そうとしているかのように見える。その左右にいる侍者は払子や水瓶、匜(水入れ)などを手に控えている。三人ともかなり潔癖そうに見える。張雨は倪瓉の親しい友人だった。題賛で張雨は倪瓉について「達生傲睨、玩世諧謔。」(人生観からして不真面目で傲慢、一切を好き放題にしている。)と述べている。この絵の外見からも高慢さが見て取れ、張雨による倪瓉評と重なる。この作品には絵画史における画家同士の交流、文人肖像画の発展など、時代的な意義と芸術上の特質が備わっている。 -
元 倪瓉 江亭山色
- 重要古物
- 文化部により指定(2012年3月)
倪瓉(1301-1374)、山水画や墨竹画を得意としたが、清新かつ優美な書法でも知られた。黄公望、呉鎮、王蒙とともに元代四大家の一人に数えられる。
1372年に制作されたこの作品は題と詩文も倪瓉自身によるもので、友人の煥伯に贈られた。典型的な詩書画三絶合一の作品で、友人のために制作された文人画である。早年の作品に比べると構図も複雑になっており、岸辺や樹木の交錯を巧みに生かし、観る者の視点を遥かに遠い空間へと導き、秋林の静けさも感じさせる。点、染、皴、擦の技法が独立しているかのように見えて、全体では渾然一体となっている。渇筆と乾墨、側鋒による皴擦が明るく澄み渡る眺めと険しい山の硬さ、開けた空間の物寂しい雰囲気、高雅かつ古風な趣をかもし出しており、作者の潔癖さを示しているようにも思える。思うままに筆を揮えば見事な風景が紙上に現れる、正しく晩年の名作である。元 王蒙 具区林屋
- 国宝(未指定)
- 本院による暫定的分類
王蒙(1308-1385)、字は叔明、号は黄鶴山樵。趙孟頫(1254-1322)の外孫にあたる。黄公望と呉鎮、倪瓉とともに「元四大家」と讃えられる。
画題の「具区」は太湖の旧称、「林屋」は太湖にある洞庭西山の麓にある「林屋洞」を指す。ひっそりとした小さな峡谷は美しく、川辺に家屋や東屋が散在している。牛毛皴乾擦で描かれた山石は変化に富み、熟練の筆遣いが見られる。樹木の葉は赭石や藤黄、朱砂などが使われており、絶妙な筆致と色遣いで秋らしい彩りの眺めが紙面に再現されている。層のように重なる山石と樹木が風も通さぬほど隙間なく描かれているが、これは中国絵画史上、あまり見ない表現方法である。北宋の複雑緻密な写実的描写、南宋の「虚」を取り入れた表現(余白を大きく残して空間を表す表現)から発展を続けてきた山水画の様式美にまた新たな境地が切り拓かれたのである。 -
元人 応真像
- 国宝(未指定)
- 本院による暫定的分類
左右の2作にそれぞれ9尊の羅漢と2人の侍者が描かれており、十八羅漢の対幅となっている。画中の羅漢は経巻や羽扇、数珠、蓮の花、香炉などを持っている。容貌はそれぞれ違い、老人もいれば青年もいる。インド人の羅漢の姿も見え、落ち窪んだ目に大きな鼻、肌の色は濃い褐色となっている。漢族の僧侶もいて、細い眉に切れ長の目、肌は白い。簡潔に表現された衣服の線は洗練されているが、用筆は変化に富み、流れるように滑らかな線が輪を描いている。途切れたり転折したりしている箇所もあり、線には力強さがある。人物の顔つきやヒゲは細い線で描いてあり、衣服の模様まで丁寧に表現されている。作者の款印はないが、全体に丹念かつ謹厳な筆致で描かれており、着色は色鮮やかだが明るすぎず、清らかで脱俗的な雰囲気が漂う。元代の宗教画を代表する作品である。
明 沈度 帰去来辞
- 重要古物
- 文化部により指定(2012年3月)
沈度(1357-1434)、華亭(現在の上海市松江区)の人。明代の「館閣体」(朝廷で用いられた標準楷書体)の形成を導き、永楽帝に「明朝の王羲之」と讃えられた。
陶淵明の「帰去来辞」は功名心もなく、官位を捨てて帰郷する作者の心境を述べた散文である。隷書で書かれているのは、古風な味わいを表現したかったからなのかもしれない。字形はやや細長く、間架は規則正しく整えられている。点画は平らだが、波磔は跳ね上がっている。その筆法は鋭く、起筆と収筆には剛毅果断な風がある。上述の表現は魏晋の銘石の書法に見られる特色だが、沈度の手で一層成熟して研ぎ澄まされ、装飾的な特色の強いものとなっている。これはおそらく沈度が朝廷で高い地位にあったことと無関係ではあるまい。当時の風潮や流派の特色も強く表れている。
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明 辺文進 三友百禽図
- 国宝(未指定)
- 本院による暫定的分類
辺文進(1356頃-1428頃)、明代初期の重要な宮廷花鳥画家の一人で、永楽から宣徳年間にかけて活躍した。画風は北宋黄筌画派の工筆重彩の伝統を踏襲しつつ、南宋院画の風格も融合させている。
画上に「永楽癸巳(1413)秋七月、隴西辺景昭写三友百禽図于長安官舍。」と記されている。この時代の人々は慣習的に京城(首都)を「長安」と呼んでいた。おそらくこの作品は皇帝の命により当時の首都南京で制作されたものだろう。主に松や竹、梅の木などの植物、斜面と岩石で構成されている。それらの間に百羽近い野鳥が描かれた、極めて装飾性の高い作品となっている。傾斜した岩石、梅の幹の輪郭線、皴紋の用筆はやや粗雑に見えるが、基本的には全体が双鉤填彩という技法で描かれており、美しく整った精緻な風格は宮廷絵画らしい品位を感じさせる。明 戴進 渓橋策蹇図
- 国宝(未指定)
- 本院による暫定的分類
戴進(1388-1462)、浙江銭塘(現在の浙江省杭県)の人。明代に「浙派」の山水画の風格を確立して後世の模範となり、浙派の祖として尊崇される。
前景に幾つもの岩石が転がる急流が描かれている。旅の一行が川にかけられた橋を渡っているところで、その後ろには険しい崖が聳え立ち、高い山が突出している。右側の奥には大きく開けた水面が広がっている。対岸の遠山や水面の帆影、釣り糸を垂らす漁夫など、ゆったりとのどかな風情がある。対角線構図は南宋院体画を起源とする。古拙で重厚な樹木の線や苔点の用筆は、元代の呉鎮や盛懋などの文人的な風格がある。樹石の輪郭線は大胆な筆致で素早く描かれている。典雅な趣ある飄逸とした風と簡潔で力強い放縦さを併せ持つこの作品は、戴進が諸家の特長を融合させた上に自身の個性を加えて生み出した典範とも言える。 -
明 商喜 四仙拱寿図
- 重要古物
- 本院による暫定的分類
商喜(15世紀)、明代の宮廷画家。宣宗年間に内廷に奉職し、錦衣衛指揮に任ぜられた。絵画は故事の人物画を得意とした。
この作品は長寿を祝う吉祥画で、李鉄拐、劉海蟾、寒山、拾得という仏教と道教の人物が同じ画面に描かれている。4人は波に乗りながら画面中央の鶴に乗って飛び去る寿星─南極仙翁をじっと見つめている。整った筆致で丹念に描かれているが、人物の表情はどこかユーモラスで生き生きとしており、何やら語らっているようにも見える。衣服の裾や袖が風に吹かれて翻っている。鋭角的に折れ曲がる衣服の線は力強い。逆巻く波は戦筆(震えたような線)で輪郭が取られている。迫力に満ちた雄壮な雰囲気に明代宮廷絵画の装飾的な趣向が強く感じられる一方で、宮廷美術の世俗化の傾向も見て取れる。明 仇英 秋江待渡
- 国宝(未指定)
- 文化部により指定(2015年5月)
仇英(1494頃-1552)、字は実父、号は十洲。周臣に絵画を学び、山水画と人物画を得意とした。沈周、文徴明、唐寅とともに明四家と称される。
「秋江待渡」は2枚の絹布を貼り合わせた大作である。近景にこれから川を渡ろうと岸辺で待っている人物がいる。向こう岸の舟上にも二人いて、一人は荷を担ぎ、もう一人の船頭は竿を立てて手招きしている。丁寧に描かれた人物は生き生きとしている。着色は濃厚で艶やかだが重厚すぎることもなく、山石の用筆を見ると、鈎勒と皴法を用いており、斧劈皴に近い表現となっている。奥に向かってZ字形に伸びる構図で広大な水域が表現されている。周臣から学んだ宋代山水画の画風を、緊密な画面から大きく開けた空間を表す構図へと転化させている。制作年は不明だが、極めて芸術性の高い作品であることから、晩年を代表する作品だと思われる。 -
明 唐寅 渓山漁隠
- 国宝
- 文化部により指定(2015年1月)
唐寅(1470-1523)、字は伯虎、江蘇蘇州(現在の江蘇省蘇州市)の人。弘治年間に南京解元。明るく朗らかだが気ままで放埓な人物だったと伝えられる。絵画で師事した周臣を超え、明四大家の一人に数えられる。
この作品は元代の文人画である「漁隠文化」の伝統を踏襲したもので、松の木や紅葉した楓が瀑布とせせらぎに美しく映え、岸辺や岩石の間に茅葺の水榭(水辺の東屋)が散在している。膝を立てて酒を酌み交わす二人、杖をつきながらそぞろ歩きする人、東屋の手すりにもたれて魚釣りを眺める人、舟から足を水に垂らして笛を吹く人など、様々な人物も描かれている。披麻皴と側鋒を合わせて描いた山石は、墨色の濃淡を生かして斧で削られたような質感を表している。そこに石青(群青)に薄墨を加えて、ごつごつとした山石の明暗も立体的に表現されている。全体に精妙な筆致と鮮明な色遣いが見られ、唐寅の絵画芸術を代表する名作というにふさわしい。 -
清 王翬 夏山煙雨図
- 国宝(未指定)
- 本院による暫定的分類
王翬(1632-1717)、江蘇常熟(現在の江蘇省常熟市)の人。清初「四王」の一人。幼少の頃から絵画の才を発揮し、王鑑に見出されて弟子となり、後に王時敏に師事した。各地の収蔵家の元で良作を目にし、名蹟を臨模する機会に恵まれたことから、古今が混在し、南北が集大成された画風となった。その熟達の画芸は清代随一と言える。
薄い墨で描かれた遠山、山間を結ぶ石造りの階段、連綿とした山林が遠方から近景へと広がり、その間に水榭(水辺の東屋)や人家、楼閣、橋、瀑布などが散在している。虚実が交錯する風景は複雑に変化し、墨の乾湿を生かした暈染(ぼかし)も効果的に用いられている。全体の筆墨は精緻だが活力があり、素朴でありながら高雅な趣もあり、巻末の題識で惲寿平が「沉渾蒼莽、霊気森然」と称賛しているとおりである。王翬52歳─成熟期を代表する傑作である。清 惲寿平 五清図
- 重要古物
- 本院による暫定的分類
惲寿平(1633-1690)、号は南田、江蘇武進(現在の江蘇省常州市武進区)の人。詩文と書画ともに優れていたが、特に絵画で名を知られた。四王、呉歴と合わせて清初六大家と称される。もともとは山水画を得意としていたが、王翬には到底かなわないと自覚し、花卉画を専門に描き始め、清代を代表する花卉画の大家となった。
この作品に描かれている「五清」─梅、松、竹、水、月は世俗に流されることのない君子の高潔な精神を象徴するものである。構図は3段に分かれており、上段には斜めに傾いた松の老木と天空に懸かる明月、中段には左右から延びる松と梅の枝、下段にはせせらぎが描かれている。全体の用筆は柔らかで、淡泊な趣がある。静まり返った風景の中に穏やかで平和な雰囲気がかもし出されている。惲寿平の現存する水墨花卉画を代表する作品である。
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清 画院 画十二月月令図 十二月
- 国宝(未指定)
- 文化部により指定(2013年12月)
「十二月月令図」は計十二軸あり、年款はないが、これまでの研究から乾隆初年に清朝画院で制作された作品と考えられている。この作品には旧暦の12月─大雪で山も閉ざされ川も凍りついた厳冬の風景が描写されている。庭園内の建物を近景から遠景へと順に追っていくと、建物で仕切られた空間に配された、宮廷内の様々な活動が見えてくる。ただそこに立っているだけの人物もいれば、火にあたり暖を取っている人物、スケートに興じている人物などもいる。庭では子供たちが蹴鞠や踢毽(羽根を蹴る遊戯)、雪で獅子を作ったりと、楽しそうにはしゃいでいる。全体に色鮮やかで美しい着色で、建築物の配置にも工夫が凝らされ、細部まで丹念に描写されている。清代宮廷絵画を代表する大作の一つであり、乾隆年間初期画院の風格を考察する上で鍵となる作品でもある。
五代人 秋林群鹿
- 国宝 展示期間制限あり
- 本院による暫定的分類
赤く色づいた楓や白樺が交じる森の中で休んだり、はしゃぎ回ったりしている鹿の群れが描かれている。北国の秋らしい雰囲気が画面に満ちている。鹿は薄い墨で染められており、主だった木々はまず墨で枝と幹を描いてから、密集して重なる葉が一枚ずつ描かれている。木の種類によって濃淡異なる朱紅や白粉、赭黄、薄墨、淡い螺青などが使われ、色とりどりで実に鮮やかである。
この作品と本院所蔵の「丹楓呦鹿」(2012年に国宝指定)の風格やサイズは非常によく似ているが、どちらの作品にも作者の款印はない。おそらく2点1組の作品だったと思われる。画風は古意に溢れ、極めて装飾性が高い。絵画の技法や色遣いが漢人の画家とは大きく異なることから、10世紀後半の遼代絵画の代表作とされる。
(2017/11/15-12/25) -
晋 王羲之 遠宦帖
- 国宝 展示期間制限あり
- 本院による暫定的分類
王羲之(303-361)、字は逸少。各体法書に優れ、後世に書聖として尊ばれた。
この帖は「省別帖」とも言われる「双鉤廓填本」である。「双鉤廓填」とは、まず先に墨で文字の輪郭を取ってから内側を墨で塗りつぶす、古代の法書複製法の一つを言う。宋徽宗帝の痩金体による簽題と内府印記があり、金章宗の「群玉中秘」、「明昌御覧」という印のほか、元代と明代、清代の収蔵印も多数残されている。王羲之が益州刺史周撫(293-365)に宛てた書簡で、伝世の唐『十七帖』刻本にも収録されているが、刻本の線は比較的単調で筆法の細かな変化に欠け、王羲之本来の筆遣いが失われており、この双鉤墨蹟本が伝える王羲之の書風には遠く及ばない。
(2017/11/15-12/25) -
宋 蘇漢臣 秋庭戯嬰図
- 国宝 展示期間制限あり
- 本院による暫定的分類
蘇漢臣(12世紀)、開封(現在の河南省開封市)の人。宣和年間の画院待詔。宋室南渡後は紹興画院に入り、隆興初頭に仏画の制作を命じられ、承信郎に任ぜられた。道釈画や人物画に長け、特に子供の絵を得意とした。
大きな湖石が立つ庭園に芙蓉や雛菊が競うように咲き誇る、秋の気配色濃い眺めが描かれている。幼い姉弟が丸椅子に載せた「棗磨」で遊ぶのに夢中になっている。右側の丸椅子や地面には回転盤や仏塔、鈸(打楽器)などが散乱している。幼い子供たち二人も玩具も丁寧に描写され、生き生きとした着色が施された、蘇漢臣の傑作である。本院所蔵の「冬日嬰戯」はサイズや画法が本作とよく似ており、四季を描いた嬰戯図だったと思われるが、現存するのはこの二作のみとなっている。
(2017/11/15-12/25)
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宋 徽宗 文会図
- 国宝 展示期間制限あり
- 文化部により指定(2012年3月)
庭園内の池のほとりで大勢の文士たちが酒宴を催している。黒い漆塗りの大きな長方形の案(机)が木の下に置かれ、食器類や食べ物、果物が所狭しと並べられている。その傍らに置かれた小さな卓上では童僕らが茶の支度をしている。いずれの人物も風流な様子で眉目秀麗、庭園や道具類も丹念に描かれた、徽宗朝画院による力作である。画幅上端両側に宋徽宗帝と蔡京の題跋があることから、画中の図像は唐十八学士「登瀛州図」と関わりがあると推測できる。精緻かつ華麗な作品だが文雅な趣が漂う。宋徽宗が画院に求めた画風とその成果を示すに足る作品であり、優れた絵画の一つとしても、研究上の価値からしても非常に貴重な作品である。
(2017/11/15-12/25)宋人 如来説法図
- 国宝 展示期間制限あり
- 本院による暫定的分類
蓮座に半跏趺坐する仏陀。その蓮座を二天王、阿難、大迦葉、2尊の供養菩薩が取り囲んでいる。長い眉に切れ長の目を持つ仏陀は荘厳な面持ちで蓮座上に坐している。鎧を身に付けた二天王は剣槊を持ち、面持ちも雄々しく勇ましい。人物の表情はそれぞれ違い、生き生きと表現されている。
画幅の四隅に「双龍」(半印)、「政龢」、「宣和」、「内府図書之印」があり、「宣和装」の鈐印様式と一致するため、徽宗内府所収の作品だったことが知れる。画中の供養菩薩はふくよかで、衣服の線は墨でぼかされており、唐代晩期の余韻が感じられる。また、蓮座の仏陀の頭部は低く平らで、結ったまげの下に隆起したものがある。宋代の仏像の特色を具えており、北宋早期に制作された作品と思われる。
(2017/11/15-12/25) -
宋 高宗書女孝経馬和之補図 上卷
- 国宝 展示期間制限あり
- 本院による暫定的分類
唐朝侯莫陳邈の妻である鄭氏作の『女孝経』には、孝道真義や女性のたしなみについて記されている。この画巻は十八章あったが、現在は半分しか残されていない。旧題は「高宗書馬和之図」で、一図一文の様式で表装されている。馬和之、銭塘(現在の浙江省杭県)人。高宗紹興年間の進士。画家として高宗と孝宗に重用された。飄逸とした筆法で独自の画風を確立した。
画中の人物を見ると顔立ちに気品があり、繊細な線で丁寧に輪郭が取られている。細部まで丹念に表現されているが、馬和之の画風とは似ておらず、馬麟(13世紀)の風格により近い。また、巻頭にある高宗の題字も理宗(在位期間1225-1264)に近いことから、「宋人書画女孝経」と改名した方がよい。
(2017/11/15-12/25) -
宋 牟益 擣衣図
- 国宝 展示期間制限あり
- 本院による暫定的分類
牟益(1178-?)、四川の人。理宗朝から度宗朝にかけて活動。人物画や古文、篆書に優れていた。
「擣衣図」は南朝の詩人謝恵蓮(397-433)の「擣衣詩」を元に1240年に制作された作品である。全て白描で描かれた32人の女性が寒さ厳しい折に擣衣(絹布を砧で打って柔らかくする作業)を行い、布地を裁断して縫製し、出来上がった衣服を箱に入れて送る場面が順に描かれている。ふくよかでゆったりした衣服をまとった女性たちの姿には唐人の余韻が残されている。人物の姿態や挙止はあくまで優雅で、眉間に憂いが見えるのみだが、従軍したまま未だ帰らぬ夫への強い思いが伝わってくる。離れ離れになった夫婦の心情を描き、言外の意味が非常によく表現された南宋絵画の一つである。
(2017/11/15-12/25)
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宋人 江帆山市
- 国宝 展示期間制限あり
- 本院による暫定的分類
二つの山に囲まれた山寺や寂れた旅籠が見え隠れしている。山壁に沿って建てられた廟宇が山の合間に見える。谷間には雲霧がたなびき、何羽かの野鳥が飛び行く黄昏の風景が描かれている。船や人物、建物、樹木、水面の波紋などの用筆は精緻で丹念に描写されている。船の構造や設備、山寺と旅籠などの建物の描き方も精確で、人物の姿態も皆生き生きと描かれている。構図を見ると、景物が左半分に集中しており、極めて写実的に表現されている。清雅な趣ある簡素な色遣いで、画幅は小さいが山中の集落には活力が満ちている。画上に名款は見られないが、筆法や画風から判断すれば、北宋の燕文貴(10世紀末に活動)に近い時代の良作だと考えられる。
(2017/11/15-12/25) -
元 高克恭 雲横秀嶺
- 国宝 展示期間制限あり
- 本院による暫定的分類
高克恭(1248-1310)、字は彦敬、号は房山、祖先は西域の色目人。官は刑部尚書に至り、江南で在職。後に杭州に寓居した。南国の山河を遊歴して江南の文人たちと親しく交遊した。
絶大な量感のある主山が聳える本作は北方の巨障山水の気勢がある。曲がりくねる川や雲霧、丸みのあるなだらかな山々と中洲などは、南方の米家山水の温潤な風情を感じさせる。南北両地の山水画の特色を併せ持つ作品となっている。また、古朴かつ典雅な青緑が生気溢れる筆墨に趣を添えている。元代初頭の復古運動が反映されているほか、絵画史上重要な伝統の数々が画風に包括されており、高克恭の山水画の典範と言うにふさわしい作品である。
(2017/11/15-12/25) -
元 王淵 松亭会友図
- 国宝 展示期間制限あり
- 本院による暫定的分類
王淵(14世紀)、字は若水、号は澹軒、浙江銭塘(現在の浙江省杭県)の人。幼少の頃より絵画を習い、趙孟頫に師事した。花鳥画は黄筌、山水画は郭熙、人物画は唐人を学び、いずれも精妙な佳作が残されている。
この作品は平遠構図で描かれており、2株の背の高い松が天を突くかの如く中央に聳えている。近景には岸辺と東屋が見え、東屋の中には二人の文士がいる。松の先端付近には、風に吹かれて漂う遠方の帆船が描かれている。静けさを湛える清遠な風景が広がっている。老練な用筆には含みがあり、動静や変化も均衡が取れ、一筆ごとが弛みのない確かな筆致で些かのためらいも見られず、宋人の画風にかなり近い。王淵の伝世作品は花鳥画が多く、山水画の佳作である「松亭会友図」は貴重な作品だと言える。至正7年(1347)の作。
(2017/11/15-12/25)元 張雨 書七言律詩(登南峯絶頂)
- 国宝 展示期間制限あり
- 本院による暫定的分類
張雨(1283-1350)、字は伯雨、号は句曲外史。浙江銭塘(現在の浙江省杭県)の人。30歳の時に茅山に入って道士となり、60歳で儒者の身分を回復した。江浙一帯を行き来して、その地の文学者や芸術家と詩文のやり取りをした。元代の道教と仏教界、文人から声望を集めた。
張雨の書法は趙孟頫を介して晋唐の典範を学んだもので、その書蹟には当時の人物の題跋がしばしば見られる。現存する宋代と元代の書蹟は巻と冊が多いが、この作品は珍しく掛け軸に表装されている。文字の大小にばらつきがあり、重心も傾き揺れ動いているように見え、墨も乾湿が交互に現れる。筆法は鋭利で力強く、縦横に筆を走らせる奔放さの中に峻厳な勢いがある。楷書、行書、草書体を交互に用い、自在に筆を操る高度な技術が見て取れる。
(2017/11/15-12/25)