嘉慶帝(1760-1820、在位期間1796-1820)は満州族が中国を支配してから五番目の皇帝であり、清高宗乾隆帝(1711-1799、在位期間1736-1795)の第十五子。名は愛新覚羅・永琰(えいえん)、廟号は仁宗、諡は睿皇帝。年号の「嘉慶」は満州語でSaicungga Fengšenと言い、良き福運があるという意味です。
乾隆三十八年(1773)、永琰は乾隆帝より秘密裏に皇太子に指名され、五十四年(1789)に嘉親王となります。六十年(1795)には禅譲を受けて即位し、翌年を嘉慶元年(1796)と定めますが、実際は乾隆帝が太上皇と称して実権を握っていました。嘉慶四年(1799)に乾隆帝が崩御後、嘉慶帝は二十五年(1820)に熱河の避暑山荘で急逝するまで親政を執り続けました。享年六十一歳。
嘉慶帝は親政を行う以前より、師の教えから学問に励むことの重要さを理解し、勤、倹、仁、慎の人徳を培うばかりでなく、経史、題詩行文における造詣と才能も父親の乾隆帝より高く認められていました。親政の当初、嘉慶帝は乾隆時代の長い太平の世を引き継いだかのように見えましたが、実際は積年の弊害が深刻化し、官僚は腐敗し、庶民も苦しい生活にあえでいました。そこで嘉慶帝は儒家の理想をもって国を治めようと、倹約に勤しみ、問題の対処に取り組み、悪徳官吏を粛正し、民間の苦しみに関心を寄せ、時弊の一掃に腐心しました。在位期間中に多くの内乱を平定し、社会的危機の蔓延を食い止め、中でも海賊蔡牽の掃討は南東各省と台湾の安定に大きく寄与しました。その一方で皇室の収蔵品を整理したり、官書や書籍を編纂するなど乾隆朝から続く文化事業を推し進め、清代宮廷の芸術と文化の発展においては伝承と創造の役割を果たしました。
本展覧は「嘉慶君とその人」、「治国政績」、「宮廷芸術」、「文化出版」の四つのコーナーから構成されます。文献と文物を通して嘉慶帝への理解を改めて深めていただくと共に、本院が所蔵する嘉慶年間の文物とその特色をご紹介します。