万世師表─書画の中の孔子,会場:202、208、212,展期:2017.07.01-09.28
万世師表─書画の中の孔子,会場:202、208、212,展期:2017.07.01-09.28
万世師表─書画の中の孔子,会場:202、208、212,展期:2017.07.01-09.28
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孔子廟の石碑

孔子が世を去ってから後、歴代帝王や地方の官員らは孔子を追封して祀り、孔子廟の修築も行い、石碑を建立してその事跡を記録しました。書碑は全て当時の文壇または書壇を代表する作家によるもので、それらは長い歳月を経て世に名高い碑林となりました。その中でも「乙瑛碑」や「礼器碑」、「史晨碑」などは漢隷の傑作として知られ、今日の書法愛好者にとって最良の手本となる名品が大量に残されています。

漢 乙瑛碑

  1. 形式:軸
  2. 尺寸:191.1 x 88.5

「乙瑛碑」は後漢永興元年(153)に建立された。碑文には孔子の19代目の子孫孔麟が、漢代祠廟の制度に従い、孔子廟の礼器の管理や春秋祭典での様々な礼儀を行う百石卒史を置くよう求めたと記されている。この請求を受けて魯前相乙瑛と後相平、司徒呉雄、司空趙戒が上奏し、学と徳を備え、父母に孝行を尽す賢者孔龢がその役に選ばれた。原碑は山東省曲阜市にあり、「孔龢碑」とも言われる。現在は曲阜孔子廟に安置されている。乙瑛碑の隷書による碑文は深い落ち着きを感じさせ、重厚だが大らかな風があり、清人は漢隷の典型として推奨した。最も多くの人々が師法した隷書の手本の一つである。

この碑には廟の人員についてだけでなく、「出王家銭給犬酒」や「河南尹給牛羊豕鶏□□各一。大司農給米。」など、奉納品についての記述も複数あり、孔子廟草創期の供物に関する資料として参考にできる。

漢 乙瑛碑

魏 李仲璇修孔子廟碑

  1. 形式:軸
  2. 尺寸:213.6 x 83.3

「李仲璇修孔子廟碑」の略称は「李仲璇碑」といい、東魏興和3年(541)に刻された。現在は山東省の曲阜孔子廟にある。碑額には末端が爪のような形になった篆書で「魯孔子廟之碑」とある。碑文には、兗州刺史李珽が孔子廟の崩れた壁を修繕し、孔子の塑像も作り直した上、孔門十賢の像も制作したことが記されている。碑文は楷書だが隷意が強く、大小篆や分隷などの書体も入り混じり、大量の異体字が用いられているなど、当時流行した風潮が反映されている。

目下のところ、この碑は孔子と十弟子の塑像についてを記録した最も早い時代のものである。古代の孔子廟には孔子の塑像があった。洪武帝(1368-1398)の頃、一部の彫像は孔子らしく見えないことから、今後、新たに孔子廟を建立する際は塑像ではなく碑位を安置するようにと命が下された。明世宗嘉靖年間(1522-1566)になると、全国の孔子像を撤去するよう命じられ、全ての孔子廟に碑位が祀られるようになった。今日の孔子廟で孔子の塑像をめったに見かけないのには、このような理由がある。

魏 李仲璇修孔子廟碑