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展示作品解說

民国 張大千 散華図 軸

民国 張大千 散華図

張大千(1899-1983)、幼少の頃から伝統絵画の研鑽を積み、特に石涛を熱心に学んだ。敦煌では3年もの間壁画の模写に取り組んだ。また、歴代名家の書画を広く収集して臨写に励み、古人の筆墨の精華を融合させ、晩年に至って「溌墨」、「溌彩」と言われる新しい画法を創出した。

この「散華図」は1937年に制作された紙本着色の作品で、敦煌壁画を模した画風で天女散華の様子が描かれている。こちらを振り向く天女はたおやかで美しく、主に白描で描かれているが、ポイントとなる箇所は石青や硃砂、泥金などの鉱物性の鮮やかな顔料で着色されており、清雅な雰囲気の中に豊かで華やかな美しさがある。

清 陳兆鳳 博古花草 軸

清 陳兆鳳 博古花草

陳兆鳳、生没年及び出身地不詳。清代晩期の宮廷画家。この大型の作品には宮中の調度品が描かれている。敞口(口縁が外側に反った形)の琺瑯彩花尊には紫色の藤や桃の花などが生けられている。花々は画法に則り写生で丁寧に描かれている。花器の首から肩に繋がる箇所は蕉葉紋で飾られている。胴には長方形の開光(飾り窓風の模様)があり、内側に水墨の倣古山水画が描かれており、地は宝蓮団花紋で埋められている。左に背の高い花器、右に低い金魚鉢が配されている。花器の横に置かれたガラス製の金魚鉢には4匹の金魚がいて、水草の間を悠々と泳いでいる。盛世の清平や富貴、平和で調和的な様子を象徴している。

清 楊大章 画白鷹 軸

清 楊大章 画白鷹

楊大章、乾隆時代に内廷に仕えた画家。作画年のある作品は乾隆31年(1766)から乾隆56年(1791)の間となっている。人物画と山水画だけでなく、花鳥や龍も得意とした。楊大章の描く墨花五彩は清冷かつ脱俗的な雰囲気がある。しばしば描いた五色の菊は美しく端正な着色で知られた。乾隆帝の御製詩も楊大章が描いた花鳥画への題詠が多い。

この着色画は綏遠城将軍興肇が献上した白鷹を描いたものである。白鷹は色鮮やかな織物で飾られた台架上にいて、黄色い布でくるまれた止まり木に足を乗せている。筆遣いも丁寧で詳細に描写されている。全体に色彩鮮麗で明るく端正な作品となっている。

清 金廷標 瑤圃採芝図

清 金廷標 瑤圃採芝図

金廷標(?-1767)、字は士揆、浙江烏程(現在の浙江省湖州市)の人。乾隆22年(1757)に二回目の南巡が行われた際に献上した自作の「白描羅漢冊」が皇帝の目にとまり、宮廷画家として召抱えられることとなった。その後、乾隆26年(1761)に一等書画人に昇格した。

この作品には雪深い中キノコ類を摘む人物と風景が描かれている。険しい崖は荒々しいタッチの斧劈皴で、草むらや苔点、蔓草、松葉などは白粉や余白で表現されており、深い雪に覆われた山河の様子が強調されている。人物の衣服は滑らかな線で表現されている。顔と衣服がアクセントとなり、凹凸がはっきりしているのは、西洋の陰影法の影響を受けたものかもしれない。

民国 張大千 華岳高秋

民国 張大千 華岳高秋

張大千(1899-1983)、四川内江(現在の四川省内江市)の人。名は爰、号は大千居士。抗戦期間中は敦煌で壁画の臨写に励み、60歳を過ぎてから「溌墨」、「溌彩」と言われる画法を創出した。国内外に名を馳せる大家である。これは1960年、62歳の時の作品である。陝西省に位置する華山は中国の名山の一つとして数えられ、「奇険天下第一の山」として讃えられる。断崖絶壁が鋭利な斧劈皴で描かれており、大きな墨点による余白で雲が表現されている。山裾を覆う雲海によって、高く険しい華山の山勢が眼前に迫ってくるように見える。