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展示作品解説

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  • 漢 曹全碑 墨拓本

     この碑の正式名称は「郃陽令曹全碑」と言う。篆額は失われている。曹全、甘肅敦煌(現在の甘肅省敦煌市)の人。親に孝養を尽くし、郃陽令を務めていた際、広く恩情を施したという。同僚らがその徳の高さを讃えて、後漢霊帝中平2年(185)、曹全の功績をこの碑石に記録した。
     この碑は明代万暦年間に出土した。碑文の結体は均整が取れ、筆勢も滑らかで趣深い。優美だが活力も失われておらず、剛健さと秀麗な味わいを備え、深い落ち着きの中に流麗な感があり、成熟した書写技法が見られる。漢代の隷書を代表する作品である。

  • 晋 王羲之 大道帖

     この帖には行草書2行で「大道久不下、豈先未然耶。」と書いてある。拖尾に趙孟頫(1254-1322)が至元丁亥年(1287)に書した跋があり、「龍跳天門、虎臥鳳閣。」と記されている。
     この帖は筆画に豊かな丸みがある。1行目の「大」から「下」までは連筆で書いてあり、最後の「耶」の末筆は長く引かれている。収筆は若干粗くなり、湾曲している。王羲之(303-361)の作品でこの種の書風は伝わっておらず、研究者の多くは、おそらく米芾(1052-1108)が臨写した作品だろうとしている。

  • 元 趙孟頫 書急就章

     本冊の旧題は「元趙孟頫書急就章」だが、研究者は兪和(1307-1382)の晩年の書とみなしていた。しかし、末尾の題跋をよく見ると、兪和による臨本だとわかる。
     兪和、字は子中、号は紫芝生、杭州に寓居した。若い頃、趙孟頫から直接指導を受けたと伝えられ、書風が酷似しているため、判別が難しいとされる。この作品では、漢晋代の章草が持つ古朴な味わいが柔美なものへと変えられている。章草の長い横画と捺筆に波磔を用い、短い横画の収筆の多くは止めとなっている。独立した点のように見える箇所にも磔法を使い、短い横画では筆を軽く上げて出鋒とするなど、変化に富んだ筆致が見られる。

  • 明 董其昌 臨十七帖

     董其昌(1555-1636)、字は玄宰、号は思白、または香光居士、諡号は文敏、華亭(現在の上海市)の人。万暦17年(1589)に進士となり、官は礼部尚書に至った。諡号は文敏、優れた鑑賞眼で知られていた。
     この巻は無紀年だが、研究者は『餘清齊法帖』の彙刻「十七帖」の臨本だとしている。制作時期は万暦24年(1596)以降で、明代末期に「十七帖」が流行した時代背景や、臨古と考証を重んじた董其昌の書学への姿勢も理解できる。

  • 明 湯煥 遊西山詩

     湯煥(生没年不詳)、字は堯文、号は鄰初。浙江杭県(現在の浙江省杭州市)の人。隆慶4年(1570)に挙人となる。書法と篆刻に優れ、高士奇(1644-1703)は、「当時、書法で名を知られていた。晋人の道を通って来たのだろう。」と述べている。
     この作品には、「秋日宿西山臥仏寺」と「遊香山寺」─自作の詩2首が書いてある。その書は元代の「雑体書」の影響を受けており、楷書と行書、草書、章草─4種の書体が混在しているが、筆法はより自由奔放で、独自の風格がある。

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