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展示作品解説

  • 宋 米友仁 雲山得意図

     米友仁(1074-1153)、字は元暉、米芾(1051-1107)の長子。書画で家学を継承し、父とともに名を馳せた。この作品は雲の輪郭が薄墨で描かれており、側筆、臥鋒、点苔法が用いられ、墨を滲ませぼかし、忽ちの内に変化する雲霧が表現されている。筆跡は模糊として、淡い墨色が趣深い。米家に伝わる雲山画の典型である。
     米友仁の伝世作品は極めて少なく、この巻はその中でも特に質の高い山水長巻である。絵図の後に米友仁の自題が別紙に書かれている。それに続いて曽覿(1109-1180)、呉寬(1435-1504)、董其昌(1555-1636)、婁堅(1567-1631)、高士奇(1644-1703)、笪重光(1623-1692)などの題跋もある。

  • 元 倪瓚 紫芝山房図

     倪瓚(1301-1374)、江蘇無錫(現在の江蘇省無錫市)の人。字は元鎮、号は雲林、迂翁など。裕福な家の生まれで、清閟閣を建てて書画を収蔵した。山水画に優れ、元代四大家の一人に数えられる。
     川岸やまばらに生える樹木、竹林、小さな東屋などが墨で描かれている。構図は簡潔で、清らかで寒々とした雰囲気が漂う。墨色は淡く、山石の輪郭は側筆で描かれている。静けさの内に力強さがあり、竹を書く筆は特に力が込められている。倪瓚の傑作である。この作品に年款はないが、画風の特色から70歳頃の作と推測される。

  • 元 方従義 雲林鍾秀

     方従義(1301-1378以降)、字は無隅、号は方壺、江西省龍虎山の清宮正一教の道士。
     本作には「洪武丁巳(1377)方壺子作贈鄧止菴還朝」と記されている。三角形の山頂が鋭く聳え、中央の主山を中軸として、両側の山が横に伸び、白い雲に覆われている。米芾(1051-1107)の雲山の風格を用いて、道教の聖山のような風景が描かれている。後跋を記した沈周(1427-1509)は「この作品は米芾の法が見事に用いられており、筆と墨が一体化している。」と絶賛している。林翰東氏をはじめとする林家の皆さま6名より寄託。

  • 明 孫龍 写生冊

     孫龍(15世紀)、別名に隆、字は廷振、号は都癡、江蘇毘陵(現在の江蘇省常州)の人。明宣徳年間(1426-1435)に宮廷に仕えた画家で、花鳥草虫画を得意とした。
     本冊は十二開あり、全て墨彩に着色を施した作品である。画絹に礬水引きがしてあるので、たっぷり水を含ませた筆で描かれているが、着色部分のにじみはない。半乾きのうちに墨で描き加えてあり、墨と色がうまくまじり合い、独特の効果が生じている。表装と対幅の題記は嘉慶帝と姚綬により書かれている。この度の特別展では、「荇藻魚蝦」、「草石蜻蜓」、「草虫」、「柳塘白鷺」─四開を展示する。

  • 清 余省 絵姑洗昌辰

     余省(1692頃-1767以降)はこの作品で円明園の眺めを描いている。画中の建物は「牡丹台」と呼ばれた、皇帝が牡丹の花見を楽しんだ場所である。乾隆9年(1744)に「鏤月開雲」に改名され、12歳の誕生祝いに花見をしていた幼い乾隆帝は、そこで初めて祖父の康熙帝に会ったという。
     「姑洗」は古楽十二律の名で、「昌辰」は盛世を意味する。『石渠宝笈三編』によれば、この絵はもともと『十二月禁(禦)図』の「三月景」だという。その「十二月景」は、乾隆時代の院画家─丁観鵬や周鯤、余省、沈源などが手がけた三軸からなり、各幅の題に乾隆帝の詩作が書されている。

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