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展示作品解説

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  • 五代南唐 周文矩 画明皇会棋図

    • 形式:卷

     この絵には、唐代宮廷で皇帝が囲碁を打つ様子が描かれている。龍椅(皇帝の玉座)に腰掛けた玄宗の前に碁盤が置いてあり、官員や僧侶、道士、侍従、内官が対局を観戦している。赤い袍服の人物が前に進み出て何か意見を述べている。袍服の背に丑角(芝居の道化役)の模様があることから、優伶(役者)だと思われる。乾隆帝は題詩で、「明皇は楊貴妃を甘やかして好き放題させ、囲碁を打っている最中に犬が邪魔をしても放っておいたという。それが後に政局の混乱を招いたのだ。」と批判している。全体に淡く趣ある着色が施され、衣服の線も丁寧に描かれており、人物の表情も生き生きとしている。

     本作に名款はなく、南唐の周文矩(10世紀頃活動)の作と伝えられるが、画風は元代の任仁発(1255-1327)に近い。

  • 宋 馬遠 小品

    • 形式:冊

     椿や牡丹、葡萄、桃の実が描かれている。濃厚で鮮麗な色遣い、花と葉の筋まで細かく描写されている。特殊な様式の装丁で、絵の部分がカヌーのような形になっている。ほかの二開は風景や人物の絵で、山中の楼閣とその中で対座する人物、杖をつきながら山道を登る人物、水面に浮かぶ舟上の人物など、清々しく脱俗的な風韻が漂う。

     本作は無款だが、馬遠(1180-1224)作とされる。小さな作品だが、構図や配置に馬遠の画風の特色が見られる。宋馬遠『小品』冊、第四、五、六、七開より。

  • 宋 梁楷 東籬高士図

    • 形式:軸

     梁楷(13世紀)、山東東平(現在の山東省泰安市)の人。人物画と山水画をよくした。南宋寧宗朝の画院待詔。

     川の傍らに立つ松に藤蔓が絡んでいる。楓の葉には硃砂が散らしてある。樹木と岩石は側鋒で斧劈皴紋が描かれており、繊細な描写は南宋時代の風格に近い。僧衣を着て鹿裘をまとった高士が、右手に菊の花を持ちながら杖をついて道を進んでいる。この人物は陶淵明だろう。右側の斜面の端に「梁楷」の署名があるが、他の真蹟とは描き方が異なっていることから、梁楷の画風を見事な筆致で忠実に模倣した作品だと考えられる。

  • 元 唐棣 倣郭熙秋山行旅

    • 形式:軸

     唐棣(1287頃-1355)、字は子華。浙江呉興(現在の浙江省湖州市)の人。

     雲霧に覆われた高山に秋の気配が漂う。聳え立つ峰の間に古寺が見え隠れしている。近景に茅葺の家屋がうっすらと見え、山道と橋を歩く旅人の姿もあり、暮らしの息吹が感じられる。構図は宋郭熙の「早春図」に近く、山石には巻雲皴を用い、蟹爪状の枯れ枝に力強さがある。いずれも李、郭の風格を継承したものである。唐棣は嘉禧殿に描いた壁画で元順帝に認められた。金陵の龍翔集慶寺の壁画も手がけ、元文宗に寵遇された。

  • 明 呂紀 蘆汀来雁図

    • 形式:軸

     呂紀(1475-1503)、字は廷振、浙江鄞県(現在の浙江省寧波市)の人。

     葦の生える池のほとりでさえずり舞い飛ぶ4羽の秋雁が描かれている。1羽はちょうど舞い降りてくるところで、別の1羽は頭を上げており、うずくまる2羽と呼応している。「呂紀」の署名は後に書き加えられたように見える。右下にある印「字以善」は林良の字で、本作の画風にも近い。林良(1428頃-1494以前)は明弘治帝(在位期間1488-1505)の時代に仁智殿に奉職し、官は錦衣衛指揮に至った。前後して呂紀とともに内廷に仕えた。

  • 明 丁雲鵬 松巔函虚

    • 形式:軸

     丁雲鵬(1547或いは1548-1629以降)、字は南羽、号は聖華居士、安徽休寧(現在の安徽省黄山市)の人。仏教と道教の人物画をよくした。明代晩期の大家。

     松が生い茂る険しい山の小道を、侍童を連れた士人がゆっくりと進んでいる。松林の上は大きな雲で隔てられ、雲の向こう側に松や杉が密生しており、梢の先には寺院が見える。画面中ほどを横切る巨石はごく単純な形状だが、その上に聳える峰は密集する岩石が重なっている。複雑な描写の中に簡素な表現を巧みに用い、繁密の内に独特の趣が生じている。制作年は万暦42年(1614)、68歳の時の作品。丁雲鵬の山水画の傑作である。

  • 明 董其昌 葑涇訪古図

    • 形式:軸

     董其昌(1555-1636)、字は玄宰、松江華亭(現在の上海市松江区)の人。鑑賞家として知られ、明代晩期の重要な書画家で理論家。

     万暦30年(1602)の正月、友人の顧際明が檇李(現在の浙江省嘉興県)へ帰郷するのに同行した際、雨に降られて葑涇に宿泊することになり、そこで古人の名跡を鑑賞する機会を得て、興の赴くままにこの絵を描いたという。披麻皴で描かれた山石の疎密は絶妙で、濃淡異なる点画と強烈な対比をなし、勢いのある連続した配置となっている。陳継儒(1558-1639)は跋に、王維と董源の画風に対する、董其昌の理解を示すに足る作品だと記している。

  • 清 惲寿平 五清図

    • 形式:軸

     惲寿平(1633-1690)、本名は格、字は寿平、号は南田、江蘇武進(現在の江蘇省常州市)の人。山水画に優れ、花卉草虫画を得意とした。「没骨法」に独自の工夫を加え、独自の写生画風を創出した。清代の最も高名な花卉画家。

     「五清」とは、松、竹、梅、水、月を指し、君子の品格と貞節、高潔な精神に喩えられます。全体に筆墨の変化に富み、乾き掠れた箇所もあれば、黒々とした箇所もあり、濃墨の後に淡墨が現れるなど、墨趣豊かな独特の趣が感じられ、高雅かつ脱俗的な気質がある。落款は「辛酉」、49歳の時の作品である。

  • 清 郎世寧 画洋菊

    • 形式:軸

     郎世寧(Giuseppe Castiglione,1688-1766)、イタリア出身の宣教師で画家。康熙から乾隆年間にかけて51年もの間、画家として内廷に仕えた。

     菊は品種が非常に多い。乾隆時代に海外から洋菊が伝わると、花の色や花弁の形が珍しかったため、御園に数多く植えられた。この作品に描かれた菊は花弁が細部まで丁寧に描かれ、色の違いも明瞭で、葉は異なる色調でぼかされている。清朝宮廷の「活計档」に記載されている、乾隆23年(1758)に郎世寧が描いたという紙本菊花一軸は本作かもしれない。

  • 清 金廷標 品泉図

    • 形式:軸

     金廷標(?-1767)、字は士揆、浙江烏程(現在の浙江省湖州市)の人。人物や花卉、山水、白描、界画に優れていた。

     月明かりに照らされる川のほとりで、木の根元に腰を下ろした文士が悠々と茶を味わっている。侍童の一人はしゃがんで川の水を汲んでいるところで、もう一人は竹炉に炭をおこしている。竹炉や茶壺、手提げ籃、缶、杓、茶碗などが、一つ一つ丁寧に描かれている。全体に清雅な趣ある着色が施され、筆墨は熟練の域に達している。文人の丸く小さな顔に人物の個性が強く表れている。着物の衿や裾、皴を描く折れ曲がった線は力強く、「折蘆描」(衣服の描写法の一つ)に近い。

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