メインコンテンツへ移動
:::

展示作品解説

  • 唐 閻立本職貢図

    • 形式:卷
    • 尺寸(公分):61x191

     画中の異国人は額が高く、目元も彫りが深い。異国の珍しい品物を持った人物が、右から左に連ねて描かれている。この絵は貞観5年(631)に婆利と羅刹、林邑─三国の使節団が大唐帝国に朝貢した史実を描いたものである。画中の人物たちは極めて劇的な姿で描かれており、「史実の記録」と「想像」を併せ持つ職貢図の叙事性がよくわかる。
     この作品に画家の落款はないが、籤題に閻立本(?-1673)とある。『宣和画譜』によれば、閻立本は唐朝の国際政治に関する画作を多く手がけたという。

  • 唐 周昉 蠻夷執貢図

    • 形式:冊
    • 尺寸(公分):46.4x39.5

     山羊を牽いて西域から訪れた朝貢者が描かれている。この人物は巻き髪で、頭に環のような装飾品を戴き、腰には短刀の付いた蹀躞帶を付けている。蹀躞帶はユーラシア大陸の草原民族の服飾品だが、この絵に描かれた様式は突厥と契丹の墓所から出土したものとほぼ一致する。
     山羊の角は彎刀のように長く、毛は白っぽい灰色で、中東に生息していたアラビアオリックスの特徴に合致する。人物が動物を牽く構図は変遷を経て、職貢図の典型的様式となった。

  • 宋人景徳四図 卷 契丹使朝聘

    • 形式:卷
    • 尺寸(公分):畫幅尺寸 33.2x35.8、書幅尺寸 33.2x37.8

     景徳元年(1004)、契丹から遣わされた韓杞が澶淵の盟締結のために宋に入った。「宋人景徳四図」の第一段「契丹使朝聘」には、その翌年、韓杞が真宗(968-1022)に朝覲した場景が描かれている。
     契丹の使節団が崇德殿で真宗に朝見した際、先に殿庭で国書を渡してから入殿した。これは契丹君主の中国皇帝への敬意を表している。この絵には貢物を取り囲む北宋の臣僚と片隅に立つ契丹の国使が描かれている。宋を中心とする国際秩序が強調されており、この構図の意図は説明するまでもない。

  • 明太祖御筆(一)、(二)冊

    • 形式:冊頁
    • 尺寸(公分):

    • 暹羅進貢事使者至京諭 前幅42.6x35.3;後幅 42.5x35.3
    • 西南諸夷諭 前幅 42.6x36.4;後幅 42.5x36.4
    • 諭占巴国王 本幅44x74.3;本幅 45.4x72.2
    • 諭安南国王 本幅 42x71.7;本幅 45x72
    • 諭書安南事 本幅 36x79;前幅 36x37.5;後幅 36.1x37.4
    • 使臣差発 前幅 41.8x33.5;後幅 41.6x33.2
    • 礼部進貢事 前幅 37x34;後幅 37.3x33.8

     明太祖御筆の手稿で、墨と朱墨が用いられている。文の多くが草書で書かれているため、判読しやすいよう、後人による楷書の釈文が添えられている。明代初期の外交事務や、管理下にあった辺境地域の状況などが記されている。元から明への交替に際して、各国にその正統性を承認される必要があったため、太祖は礼部に朝貢に関連した事務を一任し、使節を派遣して文書を届けさせ、平和的な外交理念を根付かせた。
     関連作品は前期と後期に分けての展示となる。前期は「礼部進貢事」と「諭安南国王」、「諭書安南事」、後期は「諭占巴国王」と「暹羅進貢事使者至京諭」、「使臣差発」、「西南諸夷諭」を展示する。

  • 明人 画麒麟沈度頌

    • 形式:軸
    • 尺寸(公分):90.4x45

     『明史•成祖本紀』には、永楽12年(1414)、榜葛剌(現在のバングラデシュとインド東部の西ベンガル州)の使節が「麒麟」を献上したとの記載がある。「麒麟」は伝説上の神獣だが、明は動物のキリンも「麒麟」と呼んでいた。永楽6年(1408)に入貢後、榜葛剌と中国の交流は密接なものとなった。遙か遠方の国からの進貢という喜ばしい出来事を記念するため、翰林院の沈度(1357-1434)が「瑞応麒麟頌」を書き、その頌詞を宮廷画家が描いた絵図に書き入れさせ、皇帝はその絵を政治的なプロパガンダを目的として臣下に賞賜した。

  • 清 謝遂職貢図(一)

    • 形式:卷
    • 尺寸(公分):33.9x1462.2

     皇帝は軍機処に命じて、乾隆16年(1751)から中央と地方政府を動員して大型の絵巻四巻を制作させた。この絵巻は乾隆26年(1761)にほぼ完成したが、その後も版図の拡大や少数民族の帰順に随って次々に増補された。各段の図に満州語と漢文の題識が添えてあり、内容は対外関係や辺境地域統治などの課題にまで及び、乾隆帝の国際外交や貿易、民族政策などが反映されている。
     謝遂、生没年に関しては今後の研究が待たれる。乾隆時代の内廷に勤仕。第一巻には、西洋人や外藩、各部族を描いた人物画七十幅がある。

  • 清 謝遂職貢図(二)

    • 形式:卷
    • 尺寸(公分):33.8x1402.2

     皇帝は軍機処に命じて、乾隆16年(1751)から中央と地方政府を動員して大型の絵巻四巻を制作させた。この絵巻は乾隆26年(1761)にほぼ完成したが、その後も版図の拡大や少数民族の帰順に随って次々に増補された。各段の図に満州語と漢文の題識が添えてあり、内容は対外関係や辺境地域統治などの課題にまで及び、乾隆帝の国際外交や貿易、民族政策などが反映されている。
     第二巻には、東北や福建、台湾、湖南、広東、広西の少数民族の絵図六十一幅がある。

  • 無款 貢象図

    • 形式:軸
    • 尺寸(公分):123x51

     高い鼻に彫りの深い目元、肌の色が浅黒い外国人が、象に繋いだ紐を両の手で牽いている。象はゆったりと穏やかな様子で、華やかな琺瑯盆(鉢形の器)を背負っている。盆の中には金銀や珊瑚、硨磲、瑪瑙などの財宝が溢れんばかりにつめ込まれている。その中央に立てられた仏塔の中には弥勒菩薩像が安置してあり、仏塔の上部から真珠の瓔珞が垂れ下がっている。
     東アジアの朝貢制度においては、仏教を信奉する国家が多かったため、中国の皇帝にも仏教にまつわる品々が献上された。このことは、経済効果という点だけではなく、宗教が外交にも影響を与える重要な要素だったことを示している。

TOP