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劉墉(1720-1805)。字は崇如、号は石庵、山東諸城(現在の山東省諸城市)の人。公正実直な人柄で、書法に造詣が深かった。墨の用い方に重厚な味わいがあり、豊満な文字は構造が力強く、世に「濃墨宰相」と称された。 本作は行草書で書かれている。巻末の款署は「甲子蝋月」とあり、逝去の7日前に書いた作品だとわかる。全体に精気が抑えられ、たっぷりと豊かな字体は、針を真綿でくるんだかのようである。劉墉の晩年の書風を代表する作品。 袁孝俊氏寄贈。
石涛(1642-1708)、本名は朱若極、明朝皇室の後代。明国滅亡後は出家して僧侶となった。号は大滌子、清湘老人、苦瓜和尚など。山水、花果、蘭竹画に優れていた。縦横に筆を揮い、用墨も変化に富み、前人の類型的な画風から完全に脱している。画論を著したこともあり、「自分は自分の法を用いる」ことを提唱した。自然を師とし、独自の風格を創造した。 石涛の画風には俗気がない。旧題は石涛真跡。本作は九開あるが、この度は第一、四、七幅を展示する。 林宗毅氏寄贈。
関聯昌(1809-1870)、字は俊卿、広東南海(現在の広東省南海区)の人。清代中期の著名な画家で、海外輸出用の絵を手がけた。西洋人には庭呱と呼ばれた。水彩画で名を知られ、作品は米国や英国などの美術館に収蔵されている。 本作は計十二幅ある。通草紙に不透明な水彩絵具で描かれている。繊細な雰囲気に美しく鮮やかな着色、西洋画の陰影や遠近法も取り入れている。12種の場面を通して中国人の一生が描かれている。この度は六幅を展示する。 荘素娥氏寄贈。
唐培華(1830-1900)、呉県(現在の江蘇省蘇州市)の人。上海に寓居。人物、仕女画に優れていた。著名な仕女画家費丹旭を学んだ。 金箋扇面に七夕の故事が描かれている。牛郎織女の伝説の起源は漢魏にある。織女は天帝の娘で、機織が仕事だった。天帝は独り身の娘に河西の牽牛郎を引き合わせた。牽牛郎に嫁いだ織女は仕事を怠けるようになり、天帝の怒りに触れて、河東に連れ戻されてしまった。毎年、7月7日にだけ川を渡って牛郎に会うことができるという。 林誠道氏寄贈。
呉平(1920-2019)、字は堪白、浙江余姚(現在の浙江省寧波市)の人。国立故宮博物院書画処処長を務めた。 本作は四屏あり、牡丹や竹、蓮の花、菊、芭蕉、紅梅、水仙など、四季折々の花々が大写意で描かれている。清麗かつ脱俗的な色彩、古風で力強い線は金石の味わい豊かである。伝統的な花卉画とは大きく異なり、画家の個性が鮮明になっている。 呉平氏寄贈。