妙合神離,展出時間 2016年1月9日至2016年3月29日,陳列室 202、204、206、208、210、212
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創 ─ 董其昌の書画創作

董其昌は17歳の時に書を、22歳の時に絵画を学び始めたと自ら述べています。初めは顔真卿(709-785)の「多宝塔碑」を学び、その後は魏や晋、唐、宋などの名家の作品を一通り臨書し、それらを融合して秀逸で力強く精緻典雅な書風を生み出しました。行書と草書、楷書にも優れ、明代晩期における伝統的帖学の書風を集大成した書家であり、一派の創始者でもあります。董其昌の絵画は自然な表現に重きが置かれ、筆端から天地の息吹が感じられるような境地を目指しました。また、文人画の根源への遡行を目標として、唐代や五代、宋代、元代に活躍した名家の画風と気韻の再現を試みつつ、創造性ある臨写によって伝統に敬意を払いながら、それらの作品と対話したのです。

明 董其昌 書輞川詩

  1. 材質 紙
  2. サイズ 27 x 11.7

1600年の晩春、董其昌は同じ年に進士となった呉正志(1562-1617)を宜興(荊谿)に訪ね、呉のために王維(701-761)の「輞川詩」を書いた。呉正志は宜興の収蔵家で、二人はかなり親しい付き合いがあった。「奇峯白雲」も呉のために書いた作品である。董其昌が収蔵していた黄公望の「富春山居図」は後に呉正志の手に渡り、その息子である呉洪裕が臨終前に絵を焼こうとしたが、危うく難を逃れた。この作品の抑えが利いた筆遣いには含みがあり、ふっくらとした線も豊かな潤いが感じられるが、力強く清らかな風は失われておらず、墨色の変化にも富んでいる。運筆の動きと書写のリズムが見て取れ、わずかに傾いた結字が作品全体をより一層生き生きと見せている。

明 董其昌 書輞川詩

明 董其昌 葑涇訪古図

  1. 材質 紙
  2. サイズ 80.2 x 30

万暦30年(1602)の正月、董其昌と同年に進士となった顧際明がともに檇李(現在の浙江省嘉興県)に赴いた際、雨に降られて葑涇に宿泊することになり、そこで古人の名跡を鑑賞する合間にこの絵を描いたという。親しい友人の一人であった陳継儒(1558-1639)が記した跋語によれば、董其昌はこの作品で王維と董源の画風に対する理解を再現して融合させたのである。董源由来の披麻皴(画技の一種)による粗密の配置、濃淡異なる描写を層のように重ね、山石の艶やかな質感が表現されている。川の流れと岩石に囲まれた前後の風景の内に、ひっそりとした佇まいの草葺の家屋や東屋が配置されており、王維の「輞川図」の意趣が感じられる。

明 董其昌 葑涇訪古図

明 董其昌 書呂仙詩 卷

  1. 材質 紙
  2. サイズ 24.8 x 292.2

呂洞賓は北宋熙寧年間(1068-1077)に湖州東林山に住む沈東老を訪ね、酒に酔った後、石榴の皮にこの詩を書いて壁に掛けたという。その7年後に蘇軾が訪問した際、沈東老は3年も前に世を去っていたが、残されていた三首の詩文を書したとされている。明代末期に呂仙詩の拓本が流行して広まった。懐素の書風に近いと考えた董其昌は、懐素のような大草でこの作品を書いた。巻末に年款はないが、筆遣いに早年の軽やかさがなく、中年期の「書杜律」に見られる丸みがあり、転折の変化も加えられている。懐素の筆法がごく自然に自身の書風に溶け込んでいることから、晩年の作だと思われる。

明 董其昌 書呂仙詩 卷

明 董其昌 夏木垂陰図

  1. 材質 紙
  2. サイズ 321.4 x 102.4

この作品は董其昌には珍しい大作である。画面の下半分には、左右に枝を広げる2本の木と、突き出すように聳えつつ画面の外に向かって捩れながら連なる岩石が描かれている。遠景に見える山々は重なりながら呼応し、天を突くかのような勢いがある。山裾や立ち並ぶ木々、たなびく雲、樹木の枝や幹の配置によって、全体の物象が斜めに交差して一塊に重なり、視覚的に隙間なく豊かなハーモニーを奏でている。題跋によれば、董其昌は北京で呉廷所蔵の董源作「夏木垂陰図」を鑑賞し、黄公望の山水画はここから生まれたことを感じたという。この作品は二人の大家─董源と黄公望の画風を追いつつ、それに抗おうという意識が鮮明となっている。

明 董其昌 夏木垂陰図