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展示作品解說

展覧期間:2015/04/01 ~ 2015/06/25
会場:202

清 荘瑗 人物画冊

荘瑗、事跡不詳。画風は康熙から雍正、乾隆三朝の宮廷画家に近い。乾隆3年(1738)の公文書にこの冊を錦套とし綾籤を施したとの記録があることから、この年を創作期間の下限とできる。今回は第三開と末開を展示する。第三開には錦のような田畑を眺めつつ柳の木陰で酒を飲む様子が描かれている。末開は雪中行旅図で、ラバに乗って雅集に向かう主人に書画や琴を背負った童僕が従っている。末開の款題は「荘瑗敬画」とあり、「臣字款」ではない。荘瑗はおそらく親王や顕爵などに仕えた職業画家だったのだろう。


伝 宋人 山齋邀客図

 宋人 山齋邀客図

左側には松の木陰にある茅葺家屋から客を迎えに出てきた主人が、右側には腰を曲げて礼をする客の様子が描かれている。建物脇の机には琴や書が置いてあり、童僕が小さな椅子を動かしている。月明かりの下、気晴らしをしながら来客を待っていたようである。旧題は宋人画とされていたが、気ままに筆を走らせたような筆墨の習慣、大斧劈でやや雑に描かれた平凡な山石、左実右虚の対角線構図などは、本院所蔵の鍾礼(15世紀後期頃に活動)の画作に近く、15世紀後期から16世紀前期に活動した浙派画家の作品だと推測される。


伝 元 盛懋 渓山清夏図

 元 盛懋 渓山清夏図

前景に川沿いの水榭(東屋)、中景に聳える山々と斜面、木々の間に見える宮殿へと通じる道が描かれている。遠景には雄々しい峰々が聳え、その間は白い雲に覆われている。山石の多くに青緑が用いられ、雲は白粉で化粧されている。白雲たなびく美しい山水の風景が広がっている。いずれの人物も白い衣服を身につけており、幻想の世界に遊ぶ仙人のようにも見える。旧題は元代の盛懋(14世紀頃に活動)の作とされていたが、人物や楼閣の描き方、山石の皴法と空間配置などを見ると、謝時臣(1487-1567)の画風に近く、明代中葉の作だと思われる。


伝 元 胡廷暉 蓬莱仙会図

 元 胡廷暉 蓬莱仙会図

仙人の住む山中を流れ落ちる滝、地形に沿って建てられた楼閣や東屋が描かれている。麈(払子)を持ち、道服をまとった仙人が榻(寝台)に端座している。石造りの小道を行き来する者、楼閣に向かう者の姿も見える。山石はまず太筆で輪郭線を取り、それから細筆を使った皴法で描かれている。石青と石緑(顔料の一種)で暈染(ぼかし)を入れた上に泥金も加えられ、眩く鮮麗な色彩によって仙境らしさが増している。旧題は元代の胡廷暉(13世紀後期に活動)とされていたが、右側の落款は偽款であろう。全体の風格は明代中晩期のものに近く、後世の名手による偽作だと思われる。


清 高其佩 海天出日

清 高其佩 海天出日

高其佩(1672-1734)、遼陽(現在の遼寧省遼陽市)の人。漢軍鑲白旗に属し、「指頭画」で知られたが、この作品のように美しく整った、筆で描かれた画作もある。赤い太陽が天高く懸かり、山々を明るく照らしている。前景には盛り上がった丘と林、川の間に見え隠れする楼閣や東屋などが描かれている。老いも若きも高所に登り、太陽を拝んでめでたい日を祝っている。雲海に覆われた連なる山々の間に城壁へ繋がる建物も見える。遠方の山頂にも太陽を拝む様子の人物がいて、誰もが新年を慶び祝っているように見える。右下に「臣字款」があることから、皇帝の命で新年に進呈された作品であろう。


清 方士庶 倣董源夏山烟靄図

清 方士庶 倣董源夏山烟靄図

方士庶(1692-1751)、字は循遠、号は環山、小師道人など。歙県(現在の安徽省黄山市)の人。維揚(現在の江蘇省維揚区)で暮らした。婁東派を学んだ秀麗な筆致で知られる。これは乾隆2年(1737)、46歳の時の作品である。題跋に董源の横巻「夏山煙靄」を鑑賞し、それを模倣して縦軸にしたと記されている。中洲や山々が重なりながら上方へと連なり、全体が高所から見下ろすような視点で描かれている。用筆や造形は原作に倣ったもので、「あるゆる箇所が平らで丸みを帯び、突出した箇所を作らない」─董源の精神を深く会得している。


清 孫祜 周鯤 丁観鵬 画十八学士図

清 孫祜 周鯤 丁観鵬 画十八学士図

この作品は宮廷画家の孫祜(18世紀中期に活動)、周鯤(18世紀前半に活動)、丁観鵬(1706-1770)が、皇帝の命を受けて乾隆6年(1741)に合作した人物画の長巻である。前半には、文学館を設立した唐太宗が賢才を招聘する故事が描かれている。十八学士が楼閣で様々な文芸活動を行っている。おもしろいのは後半で「漢宮春暁」と思われる画面に繋がる点で、宮中の女性たちが集い、詩を詠んだり、古物を鑑賞したりする様子が描かれている。人物も品物も細かく丁寧に描写され、鮮やかな色彩が施されている。乾隆朝前期宮廷絵画の典型だと言える。