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展示作品解説

楔子

蘇軾(1037-1101)は一般に蘇東坡と言われます。北宋の著名な文学者で、書法家でもありました。神宗元豊3年(1080)、黄州(現在の湖北省黄岡市)に配流され、その間に赤壁を訪れて、元豊5年の7月と10月に2篇の遊記を書きました。前篇は「赤壁賦」或いは「前赤壁賦」、後篇は「後赤壁賦」と題され、後世の詩文や書画の創作に絶大な影響を与えました。この度の「国宝鑑賞」では、本院所蔵の「国宝」の一つである、元代の趙孟頫の作品「行書赤壁二賦冊」を展示します。趙孟頫(1254-1322)の人物や言説、芸術性を総括的に紹介し、趙孟頫の蘇軾に対する敬慕の念を浮き彫りにします。

趙孟頫の人物と芸術性

趙孟頫、字は子昴、号は松雪道人、浙江呉興(現在の浙江省湖州市)の人。宋太祖趙匡胤(927-976)の11代目の子孫。元末の画家夏文彦の『図絵宝鑑』には、「五朝にわたって讃えられ、その名は四海に轟いた。書法は二王、画法は晋唐、いずれも神品とされる。」と記されています。その書芸に関しては、王世貞(1526-1590)が「『上下五百年、縦横一万里、匹敵する者はいない』。正しくその通りであろう。」と述べています。妻の管道昇(1262-1319)(字は仲姫)も詞書画に優れ、次男の雍、三男の奕、孫の麟、鳳など、いずれも家伝を継承していました。

元趙孟頫「行書赤壁二賦冊」作品解説

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  • 行書赤壁二賦冊

    款識によれば、この冊は友人の明遠の求めに応じて書いた作品です。大徳辛丑(1301)年、趙孟頫は江浙等処儒学提挙に任ぜられ、江南の文士らと交遊を重ねました。書画合璧は計12開あります。一作目は工筆の線で描かれた蘇東坡の肖像画で、黒々とした濃墨の腰帯が目を引きます。この絵の後に赤壁賦の前篇と後篇が続きますが、用筆の精緻さ、文字の姿態の豊かさが特徴的です。例えば、「酒」という文字の間架は変化を繰り返し、深い味わいがあります。全体に楷書と行書、草書が入り混じり、古雅な趣が感じられる書風です。

蘇東坡に敬意を表して

蘇軾への敬意は長い年月を経て育まれ、かもし出されたものでしょう。趙孟頫は書論に次のように記しています。「東坡の書は大きな熊が道を塞いでいるようなもので(老熊当道:要塞を守る猛将の比喩表現)、他の獣たちは皆恐れをなす。」本院では趙孟頫の「赤壁賦」を3点所蔵しています。また、「中山松醪賦」や「東武帖」、「南軒夢語」など、蘇軾の書跡にも趙孟頫の題印が残されています。趙孟頫の書と伝えられる「蘇軾西湖詩」や「蘇軾古詩」、「蘇軾稼説」などは真跡とは限りませんが、この種類の題材の展開や影響がうかがえます。

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