絵を観る・絵を読む─歷代名品展,展覧期間 2017年7月1日至2017年9月25日,北部院区 会場 210
絵を観る・絵を読む─歷代名品展,展覧期間 2017年7月1日至2017年9月25日,北部院区 会場 210
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展示作品解說

中国絵画の発展史はまるで交響楽のようです。人物画や花鳥画、山水画などのジャンルに代表される様式が大きな柱となり、歴史の流れの中でその変奏曲が奏でられました。

人物画の典範は六朝から唐代(222‐907)にかけて、顧愷之や呉道子らにより徐々に確立されました。これに対して山水画の典範は五代(907‐960)の頃に地域性を反映する形で確立されました。荊浩と関仝は北方の山水を、董源と巨然は江南の水辺の風景を描いた点が特色となっています。花鳥画の分野では四川の黄筌と江南の徐煕によって、それぞれ画風の異なる典範が形成されました。

宋代(960‐1279)の山水画では、范寛や郭煕、李唐らがすでに確立されていた典範に基づいて、それまでにない画風を創出して新たな典範となりました。その一方で、芸術を好んだ皇帝たちによる提唱の下、宮廷画院がかつてないほどの繁栄を極めました。宋代の画家は自然の観察にこだわりを持ち、「詩意」によりその作品の持つイメージと趣を高めました。現実的な事物に対する関心は次第に船や車などの乗り物、建築物など、構造的な物体を主題とするジャンルの誕生を促し、建物などを主題とする作品が11世紀以降に絵画の舞台へと躍り出ました。このほか、「詩意の強調」が南宋時代に詩書画一体となった冊頁の名作を生み出しました。また、宋代の文人たちは芸術表現上の概念を「形似」以外にも広げたため、文人画にも新たな風格が見られるようになりました。

元代(1279‐1368)の文人画では、趙孟頫や元四大家(黄公望・呉鎮・倪瓉・王蒙)が復古を目指す中で、より多元的な表現が登場しました。絵画の発展史において、これらの画風が次第に重要な様式となり、明清以後の絵画にも影響を与え続けました。

明代(1368‐1644)以降は地域ごとに異なる画風が、芸術文化の発展過程において大きな役割を果たしました。蘇州の「呉派」が元四大家の画風を基礎として優雅な文人の画風を形成したのに対して、浙江と福建出身の画家からなる「浙派」は宮廷絵画の様式から脱却し、南宋画の典範を大胆なタッチの水墨画へと発展させました。松江の董其昌、清代初期の王時敏や王鑑、王翬、王原祁らは古典の典範が「集大成」される中で筆墨によって自然を再現し、後世に大きな影響をもたらした「正統派」を形成しました。

清代(1644‐1911)の皇帝は「正統派」の画風を高く評価したのみならず、ヨーロッパの宣教師によりもたらされた西洋画法も受け入れたため、立体表現や遠近法が古めかしい典範における新たな表現方法の一つとなりました。地方の揚州では、高度に商業化された市場を背景に「怪」と「奇」を標榜する画家たちが活躍しました。こうした画家たちは「非正統」の典範を出発点としていましたが、後に彼らもまた変革を追い求めた典範の一つとされたのです。

展示物の紹介

五代 関仝

秋山晚翠

  1. 形式:軸
  2. サイズ:140.5x57.3 cm

五代の画家関仝の作とされているが、署名もない無款の作品。辺幅にある順治6年(1649)に王鐸が記した跋語をその根拠としている。関仝の山水画は岩石の堅さが感じられ、高々と聳え立つ山峰と、鬱蒼と生い茂る雑木が特徴とされるが、この作品は正しくそのように見える。構図もまた北宋前中期らしい山水の風景となっている。

層をなして重なる高山の麓、中央の巨大な岩石が最も目を引く。その間に途切れ途切れに現れる歩道があり、よそ者はたどり着くのすら困難な幽谷の存在を示している。このあたりに厳しい大自然の風景を描こうとした画家の思いがあるのかもしれない。この画絹は幾度も表装し直され、補足された箇所もある。巨岩と右上の山塊、山頂の建物はいずれも後から描き加えられたものである。

宋 劉松年

補衲図

  1. 形式:軸
  2. サイズ:141.9x59.8 cm

二人の僧侶が禅榻に座している。年長者の方は繕いものに集中しており、もう一人は膝を抱えながらその様子を見ている。衝立の陰に見える二人の侍者は茶葉を揉んでいる。人物の表情はごく自然で生き生きとしており、衣服の線も滑らかで力強い。左下に「画院待詔賜金帶劉松年敬贈」と印が見えるが、偽筆の可能性がある。

宋代と元代の羅漢画には僧侶の日常を描いた作品が多く、この繕いものをする僧侶も羅漢画の一つに分類できる。劉松年は12世紀に活動した南宋の宮廷画家で、本院所蔵の「画羅漢」三幅は代表作である。この作品は「補納図」とは画風が異なっており、南宋晩期から元代にかけて活動した画家が劉松年の名を使って描いた作品であろう。

元 倪瓚

容膝斎図

  1. 形式:軸
  2. サイズ:74.7x35.5 cm

倪瓉は壬子(洪武5年、1372)にこの作品を制作し、2年後に題を入れて潘仁仲医師に贈った。その頃時代はすでに明代で、倪瓉は元代末期に勃発した動乱の後、家業を捨てて太湖に20年近く流寓した。この作品には一河両岸の眺めが描かれている。前景の岸辺はやや広く取られているが、人気のない東屋は簡略化されている。荊浩と関仝の画風から派生した折帶皴の効果で山石の輪郭や境界がぼんやりと見える。董源の湿潤濃重な筆致も改良されて、素朴で飾り気のない筆墨様式へと転化されている。このほか、黄公望が二十数年前に指摘した、倪瓉作「六君子図」に見られる董源の風格もより一層洗練された表現へと転化されている。

元人

画狩騎図

  1. 形式:軸
  2. サイズ:39.4x60.1 cm

この小軸には騎馬の一行が描かれている。空の色は濃く、遠山が白く際立って見える寒空に、色とりどりに紅葉した背の高い樹木が組み合わされている。人物の服装も華やかだが、富貴な中に静けさが感じられる。狩猟中の隊列は宋元代の絵画によくある構図だが、山石はすでに明代の雪図のような表現となっている。

轡を並べて進む先頭の二人はともに赤い衣服の上から黄色い外衣をまとっている。ヒゲを蓄えている人物は宣徳帝に似ており、もう一人の白粉を塗っている女性は親族である。その後ろにいる二人の仕女は駿馬を与えられ、前の二人に従っている。この人物らが何をしているかについては今後の研究が待たれる。かつては元人作とされていたが、画法が北京故宮所蔵の「明宣宗射猟図」にかなり似ていることから、明代の宮廷で制作されたものと推測される。

明 呂紀

雪景翎毛

  1. 形式:軸
  2. サイズ:169.6x90.5 cm

呂紀(1439-1505年の間に活動)、浙江鄞県(現在の浙江省寧波市)の人。字は廷振、号は楽愚、楽漁など。弘治年間(1488-1505)に仁智殿に入り、官は錦衣指揮に至った。花鳥画は初め辺文進に学び、唐代から宋代の名家の作品を模写してそれぞれの長所を融合した。

空も川面も暗く、降雪後の寂莫とした風景が描かれている。野鴨の群れが寒そうに身を寄せ合い、眠りかけている。寒さに凍える雀と鳩がすっかり葉を落とした柳の枝にとまっている。全てが細部まで丁寧に描写され、真に迫っている。他の作品に比べると、素朴で簡潔な筆致により一層古風な趣がある。

清 王原祁

倣李唐春樹万年

  1. 形式:軸
  2. サイズ:106.1x53.3 cm

王原祁(1642-1715)、号は麓台、清代初頭の名家王時敏の孫にあたる。幼少の頃から祖父に山水画を学び、康熙9年(1670)に進士に及第、同44年(1705)7月に翰林侍講学士となり、翌年の4月に翰林侍読学士となった。画面左下に「翰林院侍講臣王原祁恭画進」という自題が見える。この作品はその頃に描かれたものである。

青々と生い茂る松を主題とした作品で、平遠な構図に松の大木が突出して見える。他の作品に見られるような山脈の動感を用いた構図とは異なり、画面に奥行きの深さを与えている。この作品は「倣李唐」とされるが、低く抑えられた地平線や視点に近い位置にある消失点などの特色を見ると、或いは西洋画法を学んだ清朝宮廷画家と交流があったのかもしれない。

明 文徵明

倣趙伯驌後赤壁図

  1. 形式:卷
  2. サイズ:31.5x541.6 cm

文徴明(1470-1559)、本名は壁、字は徴明、字で名を知られるようになった。この作品は蘇軾の「後赤壁賦」を元にしたもので、蘇軾と友人二人が酒と魚を持って再び赤壁に遊んだ場面が8段に分けて描かれている。全体に淡い青緑色に着色されている。趙伯驌に倣った作品だが用筆に透明感があり、奥行きの深さも感じられ、趙孟頫の青緑文人画の伝統により近い。

人物は簡素な線で描かれており、積み重なる山石は変化に富み、奇景を目にした文人らしいのどかな趣が表現されている。画上に嘉靖戊申(1548)とあり、文徴明が79歳の時の作品だとわかる。巻末にある文嘉(1501-1583)の記録によれば、当時権勢を振るっていた官吏に贈るため、特別にこの倣作が描かれたという。

花間行龍

  1. 形式:冊
  2. サイズ:22.5x31.3 cm

素地の五彩織り。五爪の黄金の龍が首をもたげて花々の中を舞うように飛び回っている。全体が咲き乱れる艶やかな花々に埋め尽くされている。画中の花卉は吉祥の象徴で、「富貴長春」や「玉堂富貴」など、祝福の意が込められている。

この作品は織り目も細密で、見事な技術が見られる。黄金の龍は赤い糸の織り地に金糸を使った「戧色」という技法で鱗が表現されている。身体は濃い褐色で縁取りされている。その線には柔らかな力強さがあり、花々の中に埋もれる龍のしなやかで敏捷な様子が際立って見える。花の形は柔らかで美しく、画面に奥行きも感じられ、一つ一つがはっきりと見て取れる。鋪殿花の装飾的な美しさはもちろんのこと、写実的な表現も失われておらず、生気溢れる作品となっている。

緙絲鶺鴒

  1. 形式:冊
  2. サイズ:27.4x19.8 cm

淡い褐色地の彩色織り。1羽のセキレイが川の中ほどにある岩にとまり、岩の間に隠れているエビをじっと見つめている。あたりを蝶が舞い飛び、生き生きとした自然が表現されている。「長短戧」という杼を使った織り方で伸展の変化をつけ、色をぼかしたような効果を生み出し、セキレイの羽色のグラデーションやエビの腹部の透明なつやが見事に表現されている。このほか、色違いの糸2種類を大量に用いて、川の水の陰影や色の変化も表現されている。

左側に職人の印「朱克柔印」がある。朱克柔、名は強、字は剛、華亭(現在の上海市松江区)の人。南宋高宗(在位期間1127-1162)の時代に織工として名を知られた女性。この作品は織り目も緊密で均整が取れており、技巧は精妙を極める。朱克柔の傑作である。

宋 趙令穣

橙黄橘緑

  1. 形式:冊
  2. サイズ:24.2x24.9 cm

この団扇には川の両岸に植えられた柑橘系の樹木が描かれている。岸辺を彩る黄緑色の果実、水面には大小の丸い岩が見え、色彩の変化に富んでいる。川岸は淡い青緑色で着色され、そこに墨で小石や砂が描き込まれており、静けさがかもし出されている。ところどころに生える雑草、つがいのセキレイ、2羽のコガモなどが生気を高めている。趙令穣作とされるが疑わしい。

このように川岸の風景を描いた作品の多くは「小景」と言われ、北宋から南宋時代に流行した。古風な写実的表現で風景を描写したもので、この作品は希少な好例の一つである。蘇軾の詩文が抄録されているが、これが「橙黄橘緑」の出処である。画風は宋高宗に似ている。


古代の運動会

古代の人々は詩を詠んだり、文を書いたりばかりだったと思わないでください。優雅な文化の世界だけではなく、古代にも運動会がありました。間もなく台北市で開催される「ユニバーシアード」に合わせて、本院所蔵の書画作品から古代の競技を主題とした作品を展示いたします。馬術や蹴鞠、競舟、滑冰(スケート)、投壺(壺に矢を投げ入れる遊戯)、馬球(騎馬で行うポロに似た競技)など、古代の人々がどのようにスポーツを楽しみ、競技を行ったのか、絵画を通してご覧いただきます。


宋 張敦礼

閒庭蹴踘

  1. 形式:冊
  2. サイズ:28.2x29.7 cm

この冊頁には木陰で蹴鞠に興じる五人の人物が描かれている。球を蹴っている人物は容姿端麗で、髪型も他の人物とは異なり、髪に花を挿し、胸元に金佩をつけていることから、女性だと思われる。何かの故事に依拠した作品かもしれず、今後の研究が待たれる。

衣服の模様は細く力強い線で描かれている。顔の表情も丹念に描写されており、色は丁寧にぼかされている。小さな作品だが人物画の名品だと言えよう。旧題は得意の書画で名を馳せた北宋哲宗の皇女の婿である張敦礼だが、この作品の他に比較できる画作が非常に少ないため、判断が難しい。

清 丁觀鵬

画唐明皇撃鞠図

  1. 形式:卷
  2. サイズ:35.6x251.9 cm

丁観鵬(1708頃-1771以降)、順天(現在の北京市)の人。雍正4年(1726)から宮廷に出仕。郎世寧(カスティリオーネ)に西洋画の技法を学んだ。乾隆時代の重要な画家の一人。この作品には、唐の玄宗帝が騎馬で撃鞠を楽しむ様子が描かれている。それに従う仕女や従者などが八人いる。画幅の左右に毬門(ゴール)が見え、毬門を守備する人物二人が描かれている。

衣服の模様は李公麟(1040-1106)の白描の筆法を用いたとされ、部分的にぼかされており、立体感が高められている。撃鞠は唐代宮廷で楽しまれた競技で、騎馬で球杖を使って球を打つ。ルールは現在のホッケーに似ている。

伝 五代梁 趙喦

八達春遊図

  1. 形式:軸
  2. サイズ:161.9x102 cm

馬を駆り美しい園林を疾走する八人の人物が描かれている。その様子は馬術に似ている。中ほどに見える、鞭を手に身をかがめている人物がこの絵の主人公だろう。その他の七人はその人物を取り囲むようにして従っている。衣服が唐代のものに近く、馬具も華やかなものが使われているため、晩唐から五代の貴人が乗馬をする際の装束との指摘がある。

かつては五代の画家趙喦の作品とされていたが、人物が活動する庭園の様子が宋徽宗帝の文会図に近い上、ほぼ同時期に制作されていることから、後の時代の画家が騎馬で遠出する唐人を想像して描いた作品だと思われる。

展示作品リスト

朝代
作者
作品名
形式
サイズ(cm)
備考
王維
江干雪意図
24.8x162.8
五代
關仝
秋山晚翠
140.5 x 57.3
緙絲花鳥
133.8x61.7
緙絲八哥桃花
25x27.8
李嵩
画羅漢
104x49.5
李唐
雪江図
102x47.3
梁楷
芙蓉水鳥
25.1x25.1
劉松年
補衲図
141.9x59.8
馬遠
梅竹山雉
24.1x25.2
沈子蕃
緙絲秋山詩意
86.8x38.3
衛昇
写生紫薇
23.8x25.3
許迪
野蔬草虫
25.8x26.9
趙令穣
橙黄橘緑
24.2x24.9
朱克柔
緙絲鶺鴒
29.7x24.8
緙絲桃花画眉
23.1x22.6
花間行龍
22.5x31.3
元人
画猟騎図
39.4x60.1
倪瓚
容膝齋図
74.7 x 35.5
王淵
写生
88.3x45.3
明人
画七星古檜図
79.2x41
呂紀
雪景翎毛
169.6x90.5
文徵明
倣趙伯驌後赤壁図
31.5x541.6
御製詩緙絲白蘋紅蓼
40x67.4
清人
画十二月月令図八月
175x97
院本漢宮春暁図
37.2x596.8
丁観鵬
画無量寿仏
121.3x63.1
王翬
臨関仝山水
72.2x35.6
王翬
臨王維山陰霽雪図
21.5x273.7
王原祁
仿李唐春樹万年
106.1x53.3
古人的運動會
五代梁
趙喦
八達春遊図
161.9x102
8/15-9/25展示
張敦礼
閒庭蹴踘
28.2x29.7
7/1-8/14展示
呉廷暉
龍舟奪標
124.1x65.6
清人
画十二月月令図十一月
175x97
丁観鵬
画唐明皇撃鞠図
35.6x251.9
沈源
画御製氷嬉賦
196x94.3