造形と美意識-中国絵画の精粋,展覧期間 2017年1月1日至2017年3月25日,北部院区 会場 210
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展示作品解說

中国絵画の発展史はまるで交響楽のようです。人物画、花鳥画、山水画といったジャンルに代表される様式が大きな柱となり、歴史の流れの中でその変奏曲が奏でられました。

宋代(960-1279)の山水画では、范寛や郭煕、李唐らがすでに確立されていた典範に基づいてそれまでにない画風を創造し、新たな典範となりました。その一方では、芸術を好んだ皇帝たちの提唱の下、宮廷画院がかつてないほどの繁栄を極めました。宋代の文人も芸術表現の概念を「形似」以外に拡大し、文人画の分野でも新たな風格が見られるようになりました。元代(1279-1368)の文人画では、趙孟頫や元四大家(黄公望・呉鎮・倪瓚・王蒙)が復古を目指す中でより多元的な表現が登場しました。絵画の発展史において、これらの画風がしだいに重要な様式となり、明清以後の絵画にも影響を与え続けたのです。この度の名品展では明清代の山水画を展示いたします。

明代(1368-1644)以降は地域による画風の違いや特色が、芸術文化の発展過程において大切な役割を担いました。蘇州の「呉派」が元四大家の画風を基礎として優雅な文人の画風を形成したのに対して、浙江と福建出身の画家からなる「浙派」は宮廷絵画の様式から脱却し、南宋画の典範を大胆なタッチの水墨画へと発展させました。松江の董其昌、清代初期の王時敏や王鑑、王翬、王原祁らは古典の典範が「集大成」される中で筆墨によって自然を再現し、後世に大きな影響をもたらした「正統派」を形成しました。

清代(1644-1911)の皇帝は「正統派」の画風を高く評価したのみならず、ヨーロッパの宣教師によってもたらされた西洋画法も受け入れ、立体表現や遠近法が古めかしい典範における新たな表現方法となりました。地方の揚州では、高度に商業化された市場を背景に「怪」と「奇」を標榜する画家たちが活躍しました。こうした画家たちは「非正統」の典範を出発点としていましたが、後に彼らもまた変革を追い求めた典範の一つとされたのです。

展示物の紹介

伝唐 李思訓 江帆楼閣

山沿いに築かれた庭と重檐歇山頂(屋根の伝統的建築様式)の正殿。正殿の瓦は灰色で、装飾用の格子窓がついている。建物の斗栱や梁は全て赤い漆塗りである。これは唐宋時代の様式で、地方に建てられた官員の住居であろう。山石は墨で輪郭線を描いてから青緑で渲染(ぼかし)が施されており、皴筆は見られず、濃厚で美しい色彩に古雅な趣が漂う。構図と樹木、岩石の描き方は隋代の画家展子虔の「游春図」によく似ている。この2作は同じ作品を元に描かれたものなのかもしれない。画上に「緝熙殿宝」という南宋内府の所蔵印があることから、おそらく北宋時代に制作された作品で、古い題籤に李思訓(653頃-718)の名が記されているが無関係であろう。

宋人 平疇呼犢

岸辺の雑木に竹棘が絡まっている。黄土色の葦の穂と葉が風に揺れている。季節は晩秋である。後ろにいる子牛に呼ばれた母牛は振り返り、子牛が追いつくのを待っている。その様子に母子の情の深さが感じられる。画家は動物の表情を巧みに捉え、牛の身体を墨で染め、細い線で毛の硬さや尖った質感まで表現しており、南宋絵画の典型的な風格が見られる。画上に「司印」の半印があることから、明内府と項元汴の旧蔵品だったことがわかる。

元 顔輝 画猿

もやに覆われた崖に生える木が2匹の猿に占領されている。木の枝が猿の重さで大きくしなっている。谷間を飛ぶ蜂の群れを見おろしながら、猿たちは驚き恐れている。蜂と猿は「封侯」(諸侯に封ぜられること)の語呂合わせで、「升官晋爵」(出世)を意味するめでたい言葉である。画上に「秋月」という款識があるが、文字がすでに剥げ落ちている。顔輝(14世紀に活動)、字は秋月、浙江江山(現在の浙江省江山市)の人。宮廷に仕え、道観の壁画を手がけた。道釈人物画(仏教と道教の絵)や写生に優れていた。独特の個性的な筆法には生命力が溢れている。

宋 劉松年 西園雅集

この作品には、西園で催された駙馬王詵の宴に北宋の文人が集う場面が描かれている。場面ごとに山水を楽しみとし、翰墨の雅趣を遊戯とする文士たちの姿が描かれている。何人もの文人たちが書を書く蘇軾を囲んで見ている。陳景元が弾く阮咸(弦楽器の一種)に聴き入る人たちもいれば、石に題を入れる米芾を見ている人もいる。絵を描く李公麟、語らう劉涇と園通大師など、様々な場面が描かれている。南宋時代の画家劉松年(1174-1224)の名款があるが、近年の研究によれば、おそらく明人による偽作だと思われる。

元人 青山白雲

重なり連なる青山、その間を緩やかに漂う白雲。山のふもとに生い茂る林の中に何軒かの人家が見える。白雲は白粉で輪郭を取り、群山はまず墨で輪郭線を描いてから、乾筆による薄い線を下地にし、土の軟らかな質感を表現した後、青緑で着色されている。色遣いにも典雅な趣がある。元代初期の画家高克恭(1248-1310)は董源のほか、米氏父子の墨点の表現などを学んだ。この絵はそうした風格の影響から生まれた作品である。

清 姚文瀚 摹宋人文会図

唐太宗が秦王だった頃、文官の参謀18名を府中に置いていた。即位後、宮廷の画師閻立本に18名の絵図を描くよう命じた。宋代以降、「雅集」(文士などが庭園で余暇を楽しむ風雅な集い)はありふれた画題の一つとなったが、これは礼賢下士の徳(学者や賢才を敬い礼遇すること)を示す政治的宣伝に使われたからである。姚文瀚(1713-?)、順天(現在の北京市)の人、号は濯亭。この作品と本院所蔵の劉松年「唐十八学士図」は構図や配置がよく似ている。用筆は精細だが力強さもあり、秀麗な着色には透明感がある。また、細部までこだわり、写実的に描かた人物や器物、家具などには立体感がある。乾隆17年(1752)の作品。

宋 馬遠 松泉双鳥

仏塵を手にした士人が松の根元に腰を下ろしている。文士の傍らには岩があり、せせらぎがその前を流れている。2羽のカササギが舞い降りてきて水を飲んでいる。自然の生気に満ちた作品である。あたりに立ち込めるもやは余白で表現されており、空間の広がりと濃厚な詩意が感じられる。人物の衣服は細筆で輪郭線が取られ、松の木と岩石は簡素な筆致で描かれ、斧劈皴で岩の硬さや力強い質感が表現されている。筆勢鋭く斜めに描かれた松の木の枝は、折れ曲がった鉄のようである。このような表現は「拖枝馬遠」と言われる。馬遠、字は欽山、山西河中(現在の山西省永済市)の人。南宋光宗、寧宗朝(1190-1224)時代の画院待詔。山水画や花鳥画、人物画、いずれにも秀でていた。「名画集真冊」第七開より。

宋 夏珪 松崖客話

険しい岩壁の間に松の古木や雑木が生えている。この作品には、一風変わった風景が描かれている。二人の文士が川べりの木陰に腰を下ろして語らっている。雲霧に覆われた対岸は朦朧として、草むらが見えるのみで、幽遠な空間に清らかな雰囲気が漂う。このような辺景構図と風に梢を揺らす樹木が夏珪(1180頃-1230前後)の特徴である。水墨でぼかされた岸辺の下方は斧劈皴が使われている。画上に款印はないが、作品に付された題籤により命名された。夏珪は銭塘(現在の浙江省杭州市)出身で、宋寧宗と理宗朝時代に宮廷画院に籍を置いた。「名絵集珍冊」第十五開より。

展示作品リスト

朝代
作者
品名
形式
入藏時尺寸(cm)
伝唐
李思訓
江帆楼閣
101.9x54.7
伝唐
唐人
文会図
170.8x114.5
伝宋
趙伯駒
阿閣図
73.3x55.6
劉松年
攆茶図
44.2x61.9
宋人
平疇呼犢
97x52.4
宋人
画雪蘆双雁
174.6x99.5
伝宋
郭熙
豊年瑞雪図
120.4x74.7
伝宋
馬遠
寒巌積雪図
156.7x82.4
伝宋
宋人
戯猫図
139.8x100.1
伝宋
劉松年
西園雅集
24.5x203
伝宋
宋人
嬰戯図
120.3x77.2
燕肅
吉光珍寿 邃谷仙儔
冊頁
23.9x24.4
恵崇
宋元集絵 秋渚文禽
冊頁
27.3x28.7
高克明
唐宋名繢 秋林水鳥
冊頁
26.5x26.6
馬遠
名絵集珍 松泉双鳥
冊頁
26.8x53.8
夏珪
名絵集珍 松崖客話
冊頁
27x39
艾宣
宋元集絵 写生罌粟
冊頁
23.7x24.3
無款
宋元集絵 渓旁閒話
冊頁
25.7x23.6
無款
名絵集珍 平湖雪霽
冊頁
24.3x25.4
顧安
画墨竹
122.9x53
倪瓉
疎林遠岫図
72.9x37.5
元人
寒林図
162.4x102.3
顔輝
画猿
131.8x67
元人
青山白雲
48.9x107.2
伝元
劉貫道
積雪図
139.8x76.2
銭貢
太平春色
122x49.8
藍瑛
倣黄公望山水
43.4x325
王原祁
画中有詩図
97.8x43.4
唐岱
倣王蒙山水
179.3x98.3
王翬
倣李営丘江干七樹図
96.4x54.6
徐揚
赤松黄石二仙図
172.1x71
金廷標
鍾馗探梅
154.6x78.9
銭維城
画春花三種
113x80.1
姚文瀚
摹宋人文会図
46.8x196.1
余省
画海西集卉(2、3、4、5、6、8)
冊頁
32.4x30.3