書画家のユーモア,展覧期間  2017年1月1日至2017年3月25日,北部院区 会場 204、206
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展示概要

「幽黙」という言葉は『楚辞』の「九章・懐沙」にある一節「眴兮杳杳、孔静幽黙。」に登場します。この「幽黙」は音もなく静まり返っていることを意味していますが、現在、使われている「幽黙」は「おもしろみがあり、意味深長なこと。」と辞書に説明があります。このような解釈は国学の大家である林語堂(1895-1976)の読解が元になっています。林語堂は英語の「humor」を「幽黙」(ユーモア)と音訳し、次のように解釈しました。「ユーモアのある人は、そのおもしろさをあからさまでなく、それとなく感じさせる。ユーモアを楽しめる人は、心の内で黙ってそれを理解し、そのおもしろみを取り立てて人に言うこともない。品のない笑い話とは違い、ユーモアは密やかであればあるほど絶妙なものとなる。」

「幽黙感」(sense of humor)とは、ユーモアを解してそれを運用する能力のことです。鋭い観察力や想像力を生かして、その人物の機知や達観した態度を表します。リラックスして寛いだ雰囲気の中で、連想や比喩などを用いて人生経験や考え方、遊び心などのおもしろさを伝えます。ウイットに富んだ自嘲や諧謔、揶揄、風刺などは、思いがけず笑いを呼び起こします。

「書画家のユーモア展」では、歴代書画家の作品10点を例にユーモアをテーマとした展示を行います。伝世の佳作のほか、ユニークな小品をご覧いただきます。仲間同士のおふざけ、ユーモアの表現法とその特色、ユーモアによってすっかり変わってしまうイメージ、ユーモアによる教化や啓発、世の中の出来事に対する風刺など、独創的な発想や手法を用いて、それぞれ違うユーモアが作品として表現されています。

展示作品解説

宋 梁楷

溌墨仙人

梁楷(13世紀前半に活動)、山東東平(現在の山東省泰安市東平県)の人。銭塘(現在の浙江省杭州市)に寓居した。酒を好み、無作法な振る舞いが多く、「梁瘋子」と号した。嘉泰年間(1201-1204)に画院待詔となり、金帯を賜ったが受け取らず、壁に掛けて放っておいたという。

この作品には、胸と腹をはだけた仙人が千鳥足で歩いている姿が描かれている。頭部と耳、胸の線、五官は細い線で輪郭を取り、ほかは水をたっぷり加えた墨で、大胆に筆を揮って描いてある。形を似せるのではなく、表情豊かに生き生きと表現されている。したたかに酔った様子が、くしゃくしゃの笑顔で現されている。この小さく描かれた顔の表情が画面の焦点でもあり、画家の高度なユーモアを示してもいる。

「名画琳瑯」冊第二幅より。

元 趙孟頫

書憎蒼蝿文

欧陽修(1007-1072)の「憎蒼蝿賦」を書いた作品である。題名は元代書画の名家趙孟頫(1254-1322)だが、文字の書き方を見ると筆力がやや弱く、文徴明(1470-1559)の筆意が感じられることから、明代晩期の書家が趙孟頫の名を借りて書いたものと推測される。

この作品からは文学者と書家による二重のユーモアが感じられる。文学者は、蝿という取るに足らない、人に害を及ぼす小うるさい昆虫の習性と、人をうんざりさせる点について文にし、讒人により乱れた国家をユーモラスに風刺している。この題で書跡を完成させた作者は憂さを晴らしたのだろう。込められた寓意に作者の心の声が反映されている。

明 沈周

沈周(1427-1509)、字は啓南、号は石田、長洲(現在の江蘇省蘇州市)の人。詩文に優れ、書画もよくした。明四大家の一人に数えられる。

冊中の自題によれば、小さな窓辺に独座し戯れに描いた絵で、洗練された運筆に文人らしい情趣が溢れ、簡潔で素朴な味わいに生気が満ちている。画中の猫は身体に頭を埋めるようにして丸まり、大きく目を見開いて左側を見つめている。猫はよくこのように身体を丸めるが、この作品の猫の頭の位置と身体は長く伸ばされており、実際の身体の構造とは異なっている。作者は猫を意図して丸く描き、手前の足は簡略化した線で表している。ユーモラスな味わいでいたずらな猫の様子が見事に表現されている。

「写生冊」第十五幅より。

明 沈周

化鬚疏

沈周(1427-1509)、字は啓南、号は石田、長洲(現在の江蘇省蘇州市)の人。詩文と書画いずれにも優れていた。黄庭堅を学んだ沈周の書法は端正で質朴とした味わいがある。

沈周の友人の一人である趙鳴玉にはヒゲがなかった。そこで、もう一人の友人姚存道が「美髯公」(立派なヒゲをたくわえた男性)と言われる周宗道に、ヒゲを10本ほど分けてくれと請願する疏を書くよう沈周に求めた。友人同士のおふざけにすぎないが、もっともらしく古典を引用しつつ、ヒゲを分け与える道理を説いている。大字の行書で整然と書いてあり、書風には穏やかな落ち着きが感じられる。体勢は力強く溌剌としており、伝世の大行書を代表する作品である。謹厳さと滑稽さの対照が笑いを誘う。これこそが沈周ならではのユーモアなのだろう。

明 文徴明

寒林鍾馗

文徴明(1470-1559)、長洲(現在の江蘇省蘇州市)の人。本名は壁だが、字で知られるようになった。詩文書画いずれにも優れ、明四大家の一人に数えられる。

東晋葛洪の著書『抱朴子』に魑魅魍魎の類が頻繁に出没したとあり、鍾馗の武を用いるのにふさわしい場所として「寒林鍾馗図」が描かれるようになった。しかし、明代の文人画家たち─文徴明や銭穀(1508-1578以降)などは鍾馗に宝剣ではなく笏を持たせることが多く、「文官的な鍾馗」の典型へと姿を変えた。この作品の凛々しく知的な鍾馗は微かに笑みを浮かべている。どこか悪戯な雰囲気があり、無事に怪物を追い払って満足しているのか、それともこの世の一切を笑っているのか。この作品に込められたユーモアをぜひご覧いただきたい。

清 黄応諶

画祛倦鬼文山水

黄応諶(清代初期に活動)、字は敬一、号は剣菴、北京の人。書画に優れ、人物画、鬼判、幼い子供の絵を得意とした。

この作品は明代の申時行(1535-1614)の著作「袪倦鬼文」の一場面を絵にしたものである。疲弊していると鬼に取り憑かれるというので、疲れてしばらく放っておいた手稿を整理して鬼を追い払おうとしたが、うたた寝をしている間に怒り狂った倦鬼が現れてあれこれ言ってきたという場面が描写されている。しかし、画面には満開の花と生い茂る緑の葉─春の風景が描かれており、文士は亭内で居眠りをしている。倦鬼はごく普通の服装で、獰猛そうでもなく、異形に姿を変えることもなく忍び寄り、わずかに奇異な雰囲気を漂わせているのみである。原作には、心を乱さず、何か問題がある時はまず自身に原因がないか反省すべきだという一種の人生哲学が叙述されているが、黄応諶は厳粛な雰囲気や恐怖感を強調するのではなく、心地よくのどかな山水人物画によって自身のユーモアを表現している。

清 華喦

蜂虎

華喦(1682-1756)、福建上杭(現在の福建省龍岩市上杭県)の人。字は秋岳、号は新羅山人。人物画や山水画、花鳥画、草虫画に優れ、流行の画風から脱却し、古法を追求した。揚州画派を代表する画家の一人。

草原で暮らす1頭の虎が頭を低く垂れ身体をかがめて前足を上げている。尾はだらりと垂れ下がっている。蜂の襲来から逃れられないことを知り、刺されたくはないけれど仕方がないと哀れな表情を見せている。一般によく見られる威風堂々とした虎のイメージとは正反対の姿が描かれている。作者は志を遂げることができなかったその思いを虎の姿に託して表現したかったのかもしれない。虎の大きさとは全く不釣合いな小さな蜂、この二者の組み合わせを生かしたドラマティックな一場面はユーモアに満ちている。

蘭千山館寄託、華喦「写生冊」下冊第四幅より。

清 無款

豊綏先兆図

赤い長衣を着た鍾馗が4匹の鬼の上に腰を下ろし、烏帽を取ってその姿を鏡に映して眺めている。上方にコウモリが飛んでいる。画題の「豊綏先兆」は「封祟仙照」の語呂合わせである。鏡を見る鍾馗を題材とした現存作品は他に清代の高其佩(1762-1834)の「鏡中鍾馗」や方薫(18世紀末)の「鍾馗対鏡」などがある。画法は異なるが、同じく瑞祥やユーモアを表現している点から、この作品もおそらく清代の画家の手によるものと思われる。鍾馗は醜く、鏡に映る自分の醜さに驚いている。ユーモラスな構図や配置に思わず笑みがこぼれる。鍾馗に押しつぶされた4匹の鬼たちは特段恐れている様子もなく、仕方なさそうな表情を浮かべている。この点もまたユーモラスで、作者の工夫が見て取れる。

民国 溥心畬

猫鼠墨戯

溥心畬(1896-1963)、河北宛平(現在の北京市)の人。清宗室の末裔。詩詞、書画いずれにも秀で、張大千(1899-1983)と合わせて「南張北溥」と讃えられた。

中央にぐっすりと眠る猫が描かれている。その傍らでは、擬人化された鼠たちが2組に分かれて動き回っている。猫のすぐ横にいる1匹は女装しており、その前にいる2匹は畏まった様子で文書を差し出し、何かを訴えているように見える。その下の方にいる1匹は杯を掲げ、もう1匹はでっぷりと肥えた男性の姿で机に突っ伏しいる。これは酔っていることを示している。趣深い画風の内に風刺が隠されている。作者は特に説明を加えていないが、眠っている、または狸寝入りをしている猫と鼠たちの姿を借りて、ある種の人々の行為を風刺している。何か感じるものがあり、そこから発想を得て、ユーモラスでどこか子供っぽさのある表現で絵にしたのだろう。

民国 陳定山

睡猫

陳定山(1897-1987)、浙江杭州(現在の浙江省杭州市)の人。本名は名琪、字は小蝶。40歳以降に定山に改名した。実業家だが、書画に優れ、詩文も得意とした。

この作品には、岩の側にいる文官姿の人物と猫が地面に伏して眠っている様子が描かれている。傍らには酒の瓶や盆、杓が置いてある。酒に酔ったのか、眠っているのか。自題の「睡熟猫児喚不応、但憑鼠子乱縦横。」が画意を伝えている。画中の人物は自然に深い眠りに落ちたのか、はたまた何も構いたくないから寝ているのか、酒の力を借りて眠り、浮世のわずらわしさから逃れたいのか。世俗の出来事に対するやるせなさがはっきりと示されているわけではないが、猫と鼠を使った暗喩が絵画として表されている。洗練された筆致と簡潔な線で描かれており、ユーモラスな雰囲気が軽妙に表現されている。

展示作品リスト

会場208
年代
作者
作品名
形式
サイズ(cm)
梁楷
溌墨仙人
48.7x27.7
趙孟頫
書憎蒼蝿文
147.5x53.7
沈周
34.8x54.5
沈周
化鬚疏
28.4x463.5
華喦
蜂虎
20.2x25.6
無款
豊綏先兆図
128.2x49.3
民国
溥心畬
猫鼠墨戯
57.4x28.3
民国
陳定山
睡猫
單片
34.4x40.4
会場202
年代
作者
作品名
形式
尺寸
文徵明
寒林鍾馗
69.6x42.5
詩塘22.2x42.4
黄応諶
画祛倦鬼文山水
163.8x219