造形と美感─明清山水画の精粋,展覧期間 2016年4月2日至2016年6月12日,北部院区 会場 202, 212
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展示概要

中国絵画の発展史はまるで交響楽のようです。人物画、花鳥画、山水画といったジャンルに代表される様式が大きな柱となり、歴史の流れの中でその変奏曲が奏でられました。

宋代(960-1279)の山水画では、范寛や郭煕、李唐らがすでに確立されていた典範に基づいてそれまでにない画風を創造し、新たな典範となりました。その一方では、芸術を好んだ皇帝たちの提唱の下、宮廷画院がかつてないほどの繁栄を極めました。宋代の文人も芸術表現の概念を「形似」以外に拡大し、文人画の分野でも新たな風格が見られるようになりました。元代(1279-1368)の文人画では、趙孟頫や元四大家(黄公望・呉鎮・倪瓚・王蒙)が復古を目指す中でより多元的な表現が登場しました。絵画の発展史において、これらの画風がしだいに重要な様式となり、明清以後の絵画にも影響を与え続けたのです。この度の名品展では明清代の山水画を展示いたします。

明代(1368-1644)以降は地域による画風の違いや特色が、芸術文化の発展過程において大切な役割を担いました。蘇州の「呉派」が元四大家の画風を基礎として優雅な文人の画風を形成したのに対して、浙江と福建出身の画家からなる「浙派」は宮廷絵画の様式から脱却し、南宋画の典範を大胆なタッチの水墨画へと発展させました。松江の董其昌、清代初期の王時敏や王鑑、王翬、王原祁らは古典の典範が「集大成」される中で筆墨によって自然を再現し、後世に大きな影響をもたらした「正統派」を形成しました。

清代(1644-1911)の皇帝は「正統派」の画風を高く評価したのみならず、ヨーロッパの宣教師によってもたらされた西洋画法も受け入れ、立体表現や遠近法が古めかしい典範における新たな表現方法となりました。地方の揚州では、高度に商業化された市場を背景に「怪」と「奇」を標榜する画家たちが活躍しました。こうした画家たちは「非正統」の典範を出発点としていましたが、後に彼らもまた変革を追い求めた典範の一つとされたのです。

展示作品解說

明 張宏 石屑山図 軸

張宏(1577~1668年以降)、字は君度、江蘇蘇州の人、山水に長ずる。現存の画作から、その多くが実景から意を汲んでいることが分かる。彼は明代中期の呉派山水画風に、新たな気風を鋳込んだ明代晩期の独創的な画家である。この掛け軸は、万暦四十一年(1613)、画家37才の早期の作である。画中には呉派山水によく見られる細長の構図をはじめ、淡く色づけされた山、更に豊富な墨色により変化がもたらされる短筆画の竹林を用いて、石屑山に美しい景観を作り出している。画中には「君俞先生に贈る」の題字がある。君俞、即ち唐献可(江蘇武進の人)は、豊富なコレクションを有しており、元代の王蒙〈谷口春耕〉もその中の一つに含まれる。張宏はその作品から創作のヒントを得たと考えられる。

清 周亮工 集名家山水 冊

この画帖は明末清初の周亮工(1612~1671年)により集められた十四名の画家による十八幅の作品である。曽て《石渠宝笈 三編》にも収録され、清朝宮廷內府の収蔵品であった。周亮工は金陵に生まれ、明末の知識人であったが、清の初期に、清朝にも仕え、官吏として北京・山東・福建等の地を渡り歩いた。詩文や鑑別収蔵を好んでいたため、多くの明・清の詩人や画家と交流があった。著書に《読画録》があり、明末清初の76名の画家のエピソードが収められている。画帳の14名の画家は、画上に題辞や跋文を認め、多くが周亮工と交友関係にあった友人である。本作品は周亮工の詩画を通した交友関係を知る上でも、重要な視覚資料であると言える。

清 王時敏 倣王維江山雪霽 軸

王時敏(1592~1680年)、字は遜之、号は煙客、晩年の号は西廬老人、江蘇太倉の人。父方が代々官職に就いていた為、科挙を受けずに官銜となった。その後、病により隠居し、絵画に専念した。董其昌の指導を受けたこともあり、古代風を模倣し、殊に黄公望の山水を重視した。題字に依ると、王時敏は、王維の〈江山雪霽図〉を絶賛し、「用筆運思,迥出天機」(筆を用いて構想を練り、天機をはるかに超越している)とし、後半では再び王維の〈江干雪意〉を見て、長巻の筆致に近く、追憶の後この掛け軸描いたとしている。画中の岩山は右に傾き、前方の岩石と相呼応し、趣のある動きを成している。山は留白(全て彩らず、白い箇所をあえて残す技法)、敷染を用い、更に緑彩が添えられている。この山水を描く新たな手法は、王翬が古代の作風を真似るのとよく似通っている。王時敏の晩年の画作は代筆されていたという説があるが、王翬は食客として出入りしていたので、可能な人選であるとの見方もある。

清 惲寿平 王翬 花卉山水合冊 画帳

本作品は、惲寿平(1633~1690年)及び王翬(1632~1717年)二人の画家の合作による画帳で、惲寿平が花卉を、王翬が山水をそれぞれ描いた各六枚、計十二枚の画作である。その内、二枚目と九枚目は、いずれも王翬紀年壬子(1672年)と題があるため、その年の作品でると思われる。惲寿平の花卉は沒骨法の手法で描かれ、更に水分の運用を極め、清らかで優雅な花卉の姿を描き出している。王翬は趙孟頫・高克恭・李成・曹知白・王維等、古代の山水名家に倣いつつも新しさを採り入れており、各作品はいずれも先人の姿の中に別の楽しさをも加えている。例えば王維の山水の一枚は、墨で天地を染め、山峰は「留白」を用い、雪で染まる景色を表現した後、更に青緑で山を描き出し、冬景色に清々しい新たな趣を添えている。

清 王原祁 仿李営丘筆意 軸

王原祁(1642~1715年)、字は茂京、号は麓台、又の号を石師道人。江蘇太倉の人。王時敏の孫にあたる。康熙時代、画供奉として、宮中內廷に仕え、古今の名画を鑑定した。山水画に長け、黄公望に倣って描いた、「淺絳山水」(代赭色 (たいしゃいろ) の淡彩を添えた山水図)は、素晴らしく、右に出るものはない。著作に《雨窓漫筆》、《掃花庵跋》があり、世に伝わる。

本作品は作者58才の作で、水墨画の雪景色は自ら認める李成を模したもので、王原祁の伝声の作品中にはあまり見られない逸品である。画中の山石が重なり合い、松林の枯木がふぞろいに入り交じり、うっそうと茂り、荒涼荒漠とした厳冬の景色を表現している。

清 鄒一桂 太古雲嵐 軸

鄒一桂(1686~1772年)、江蘇無錫の人。字は原褒、号は小山、又の号を譲卿、晩年の号は二知老人。官職は礼部侍郎に至り、更に尚書銜に就いた。絵にも通じ、著作に《小山画譜》があり、世に伝わる。

本作品は盤山の静寄山荘の全景を描いたもので、純粋な写生法により、ありのままに描かれている。樹木と石、家屋の遠近と大小全ての比例、雲影山光も透視画法を用い、見る人に、あたかも高みに上り、眺望し、更には雲山の絶景を悉く眼下に収めている感を与える。作品は乾隆壬申(1752年)、鄒一桂67才の作である。

清 李世倬 画連理杉 軸

李世倬(1687~1770年)、字は漢章、三韓の人。遼東一帯の漢軍であったと推測される。父親が士官を求め江南を渡り歩いていた際、王翬に教えを受けた。画家高其佩の甥でもある。

本作品は乾筆を以淡墨により、谷間の松や杉林の樹木を描き、その構図は特有な風格を有している。李世倬が自らが題した「連理杉」は、画面左の杉の木を指しており、同じ幹より二本の枝葉が伸びている。この杉は、九疑山(湖南永州)のよりも長く、大きくて力強い。画上に紀年は記されていないが、乾隆十六年(1751)12月、李世倬が炎帝陵(湖南株洲)の祭祀に派遣された際、旅の途中で目にしたのではないかと考えられる。

展示作品リスト

朝代
作者
品名
形式
本幅尺寸
陸治
花谿漁隱
119.2x26.8
張宏
石屑山図
201.3x55.2
藍瑛
溪山雪霽
82.3x28.9
趙左
寒山石溜図
52.7x32.9
謝成 等
周亮工集名家山水
約24.8x33
王時敏
倣王維江山雪霽
133.7x60
王鑑
倣黃公望煙浮遠岫図
134.9x78.9
惲壽平、王翬
花卉山水合冊
75.5x54.3
王原祁
仿李営丘筆意
47.3x66.4
高其佩
廬山瀑布図
98.4x49.9
唐岱
倣范寬秋山瀑布
158x64
鄒一桂
太古雲嵐
188x78
李世倬
画連理杉
138.8x51
允禧
画山水
23x33
董邦達
墨妙珠林(巳)
72.3x93