書中の龍なり─歴代十七帖法書名品展, ショー日:2016.04.02-06.26, 北部院区 ショールーム:204,206
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展示概要

「十七帖」とは、書聖王羲之(303-361)が晩年に友人宛にしたためた書状をまとめたものです。「十七」の2文字で始まることからこの名があります。唐代のものとされる原跡は現存しておらず、後の時代の人々は伝世の臨本や模本、刻帖、文献資料を元に作品全体の再現に努めました。草書を中心とする「十七帖」の用筆は滑らかで線に力強さがあり、全体のバランスも美しく整っています。宋代の黄伯思(1079-1118)は「書中の龍なり」と讃えました。

「十七帖」は古くから習字の典範とされています。敦煌で出土した唐人の臨書や北宋の蘇軾(1037-1101)による「漢時帖」の臨書などにその一端がうかがえます。元代から明代にかけては長巻や冊頁など、各種「十七帖」の全臨本が次々に登場しました。趙孟頫(1254-1322)と董其昌(1555-1636)、朱大有(生没年不詳)の作品がその代表として挙げられます。そうした流れの中、縦幅に大字で書いた兪和(1307-1382)の手法と臨書に対する意識は、「十七帖」発展史上の一大変革だったと言えるでしょう。明代中晩期は民間で盛んに法帖が製作されました。「鬱岡齋帖」や「餘清齋帖」などに収録されている「十七帖」は、宋代のものほど趣はありませんが、版本の流伝に関しては注目すべき点が多々あります。清代の王澍(1668-1739)の臨書は字形を写し取っただけでなく精神性も備わっており、原跡に忠実な完成度の高い作品となっています。熱心に書法を学んだ乾隆帝(1711-1799)の作品には多元的な表現が見られ、金泥で書写した劉墉(1720-1805)の作品は装飾性の高さが特徴的です。民国以降も新たな風潮が生じました。譚延闓(1880-1930)の堂々たる表現、溥儒(1896-1963)の丹念な臨模など、いずれの書家の作品も古典から学ぼうという姿勢を実践した結果だと言えるでしょう。

この度の企画展では、国立故宮博物院所蔵の歴代「十七帖」関連作品13点を展示いたします。名帖の美しい書法と合わせて、中国書法史上における「十七帖」の影響と変遷をご覧いただきます。

展示作品解說

旧拓十七帖

伝世の「十七帖」模刻本は多数存在するが、「館本」と「賀監本」の2種に大別できる。宋拓館本「十七帖」には29帖が収録されており、巻末に「敕」という文字があることから、「敕字本」と称される。著名なものとしては日本の三井高堅氏(1867-1945)聴冰閣旧蔵の「三井本」が挙げられる。書聖王羲之(303-361)の尺牘に見られる書法がこうして現代にまで伝えられている。

この「旧拓十七帖」は「館本」に分類される。模刻も刷りもすばらしいものだが26帖しかなく、17行が欠けている。最後の開に賈似道の「悅生」という葫蘆印と「僧権」2字があり、明代の「鬱岡齋帖」所収の「十七帖」と深い関わりのあることがわかり、清代の郭尚先(1785-1833)による金泥の題跋が祖本であることを示している。

元 趙孟頫 臨十七帖

趙孟頫(1254-1322)は宋太祖趙匡胤から数えて11代目の子孫にあたる。字は子昴、号は松雪、諡号は文敏。浙江湖州(現在の浙江省湖州市)の人。復古を提唱した趙孟頫の書法は多様性に富み、後世に大きな影響を与えた。

趙孟頫が臨写した「十七帖」は一巻のみではなく、他に補写した唐人の「十七帖」も広く伝えられており、草書の学習歴が相対的に見て取れる。巻末の落款から63歳の頃の作品だとわかるが、晩年の典型的な用筆とは若干の違いが見られる。帖の順序が異なる上、脱字もあり、宋拓「十七帖」とも違っており、どの帖を臨写したものなのかは不明である。上部に呉廷、項元汴などの収蔵印記があることから、流伝の経緯も明らかである。

王世杰氏寄託。

元 俞和 臨成都城池漢時二帖

俞和(1307-1382)、字は子中、号は紫芝生、桐江(現在の浙江省桐廬県)の人。書法は各書体に秀でていた。早年は当時の書画の巨匠趙孟頫に師事し、その運筆法を実際に目にしていたため、趙孟頫の書に酷似している。

この作品は「成都城池帖」と「漢時帖」を臨写したもので、「十七帖」の節臨本である。縦長の幅に書かれたこの書は伝世作品の中で最も早い時代の作品である。間架結構は字体の拡大や緩みとは関わりなく、行気(文字間や行間の繋がりや流れ)も終始一貫している。中鋒による懸腕直筆で筆画もすっきりとして力強く、文字の繋がりや転折箇所はとりわけ見事である。款署は「紫芝老人臨」とあり、高齢にもかかわらず、弛むことなく学び続けていたことがわかる。

明 朱大有 臨十七帖

この作品は「元明書翰」第三十九冊に収録されている。「十七帖」の臨書で計21作ある。濃厚な墨には艶があり、結字は原帖をよく写し取っている。用筆の軽重と緩急の違いが線の律動感と質感を一層豊かなものにしている。明代寧国県の人、朱大有の作だとされる。朱大有、字は伯亨。嘉靖甲午(1534)の貢生だが、その生涯と巻末にある題跋の時間が一致しないため、別人の手によるものであろう。朱大有は書史に名だたる大家とは言えないが、その技量は極めて高く、十分な実力を備えた書家である。「生涯にを通して王羲之の書を最も好んで臨模した。十七帖が何よりも好きで、数十年来、百巻ほどは臨模を繰り返した。」と述べており、書聖の後世への影響がよくわかる。

清 王澍 臨十七帖

王澍(1668-1739)、字は若林、号は虚舟、江蘇金壇(現在の江蘇省金壇区)の人。康熙51年に進士となり、官は吏部員外郎に至った。書法に精通していた王澍は唐碑を重んじ、当時は書法でその名を知られた。

王澍の「積書巌帖」は計六十冊あり、これはその内の一冊である。前段の臨書のほか、その後に「敕」という字の花押と、褚遂良の跋尾、「僧権」の2文字が見られ、忠実に臨写されている。用筆は細部までこだわり、章草の筆法も見え、結字も規則的に整えられている。巻末の題跋に「この宋搨本は錫山秦氏の所蔵品で、世俗の流伝本とは天と地の差があるだけでなく、唐摹とも若干の違いが見られる。」とあり、原帖の流伝と書史上の地位について触れている。

清 劉墉 臨天鼠膏帖

劉墉(1720-1805)、号は石菴、山東諸城(現在の山東省諸城市)の人。乾隆年間に進士に及第し、官は体仁閣大学士に至った。書法は趙孟頫(1254-1322)と董其昌(1555-1636)から学び始め、中年期に大成し一派をなした。

この墨箋扇面には詩文4篇が金泥で書かれている。3作目の「天鼠膏帖」が「十七帖」の内の一つである。剛毅な風のある線は力強く、姿態も極めて美しい。劉墉はこの作品で書聖の書法と別の文人の詩文を同時に表現している。作者の創意工夫が見られるだけでなく、書聖の至高の地位にも変化が生じているように見える。

林宗毅氏寄贈。

展示作品解說リスト

時代
作者
作品名
形式
本幅サイズ (cm)
旧拓十七帖
23.1x10.1
北宋
蘇軾
臨漢時帖
29.5×29.4
趙孟頫
臨十七帖
30.2x392.4
俞和
臨成都城池漢時二帖
113.1x35.3
朱大有
臨十七帖
29.2x35.9
王澍
臨十七帖
26.6x12.4
張照
臨山川諸奇帖
175.5x90
乾隆
臨山川諸奇帖
42.4x183.4
劉墉
臨天鼠膏帖
16.4x48.4
劉墉
臨虞安吉等四帖
本幅一14.3x18.8、
本幅二14.3x18.6、
本幅三13.9x18.5
陳澧
臨七十帖
128x28.3
民国
譚延闓
臨七十帖(四屏)
173x41.8
民国
溥儒
臨十七帖
26.4x425.1