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展示作品解說

唐 盧鴻 草堂十志図  (new window)

唐 盧鴻 草堂十志図

盧鴻(7~8世紀間に活動)、字は顥然、幽州范陽(現在の北京市大興区)の人。嵩山で隠居生活を送った。博学で書法に優れ、絵画も得意とした。玄宗時代に幾度も招聘されたが出仕せず、隠居用の衣服と草堂を皇帝より賜った。

この巻には計十景が描かれている。各風景の前に褚遂良、顔真卿、柳公権などの各書体で書かれた十志詞があり、文と絵図を合わせて見るとまた格別の趣がある。樹木と岩石の造形には古拙な味わいがあり、用筆は硬い。水墨による渲染(ぼかし)は見事である。制作年代に定説はないが、16世紀初頭には江南の収蔵圏にあった。この作品の様式は後世の隠居図にしばしば用いられ、その後の絵画に大きな影響を与えた。

六朝 宋 陸探微 帰去来辞図  (new window)

六朝 宋 陸探微 帰去来辞図

陶淵明が菊の花を積んだ船で帰郷する場面が描かれている。書画や器物なども船上に満載されている。他の「帰去来辞図」とされる伝世作品とは構図が異なり、この作品の陶淵明は船の舳先に立っているが、いずれの作品にも「舟揺揺以軽颺…僮僕相迎、稚子候門。」(舟はゆらゆらと揺れながら軽く上下し…召使いは喜び迎えてくれ、幼子は門口で待っていてくれる)という喜びが表現されている。作品中に描かれた陶淵明の妻が身繕いもそこそこに、急ぎ足で石段を駆け下りている様子は期待に満ち溢れている。

陸探微(5世紀中期に活動)は人物画で名を知られ、古典を継承しつつ新しい画風を拓く画家とされていた。しかし、この作品の画風は明らかに5世紀のものではなく、おそらく13世紀以降の作品だと思われる。

宋 郭忠恕 臨王維輞川図  (new window)

宋 郭忠恕 臨王維輞川図

王維は藍田の輞川付近に別宅を築き、そこで「輞川集」所収の詩二十首を詠み、清源寺の壁に輞川の絵を描いたという。その絵図はとうの昔に失われたが、後人がそれを惜しんだことから、伝世の「輞川図」が多数残されている。その多くが北宋界画の名家郭忠恕(977年没)を自称しており、王維の「輞川図」の模写とされる。この作品もその一つである。

この作品は長巻で、「輞川集」に記された風景に「輞口荘」も加えられ、計二十一景が描かれている。画面を取り囲むような構図が多く、素朴で古雅な雰囲気が感じられるが、用筆から推察するに、明代か清代の人物の作とも思われる。

宋人 寒林待渡   (new window)

宋人 寒林待渡 

五代から北宋時代にかけて、北方では寒林を主題とする山水画が登場した。五代の李成(916-967)がその代表として挙げられる。李成の作品は「物寂しい雰囲気が漂う中、もやに霞む林は清らかに澄み渡る。筆遣いは秀麗で画技も精緻である」とされる。しかし、伝世の李成作「寒林図」の多くは松と枯れ木を中心にした近景画である。

この作品には広遠な風景が描かれている。大地は霜雪に覆われ、前景に松の古木や樹木が屹立している。二人の旅人がロバを駆りながら渡し場へ向かっている。画面は水墨でぼかされ、凍てつく寒さがかもし出されている。斜面の皴染や蟹爪状の枯れ枝から推察するに、南宋以降の郭熙一派の画家による作であろう。

明 項聖謨 写生冊 (new window)

明 項聖謨 写生冊 

項聖謨(1597-1658)、字は孔彰、号は易庵、明代中葉の収蔵家項元汴の孫にあたる。精緻な山水画と花卉画で知られ、独自の風格を築いた。明の滅亡(1644)後は遺民として過ごし、故国への思いを込めた作品が多い。

この『写生冊』は乙酉から丙戌(1645-1646)にかけて、乱を避けて桐江に逃れた際に制作された。味わい深く清逸な趣があり、身の回りの事柄を題材としたものが多い。描画対象や印文、題識などを通して亡国後の心境が表現されている。この度は「竹石」、「青桐」、「古松」、「蘭」、「秋林亭子」、「秋海棠」などが展示される。

清 王原祁 仿宋元人山水冊 山田荷柳

清 王原祁 仿宋元人山水冊 山田荷柳

王原祁(1642-1715)、字は茂京、号は麓台、江蘇太倉(現在の江蘇省太倉市)の人。王時敏の孫にあたり、祖父に師事して画を学んだ。清代初期の四王の一人に数えられる。

この冊は十七開(見開きを一開とする)ある。紙は祖父の王時敏の遺物で、父の喪に服していた頃(1697-1699)に描かれた作品であるため、精妙緻密な作品であるというだけでなく、作者個人の記念的意義も強い。もとは墨のみで描かれたものだったが、喪が明けてから着色された。この度は「山田荷柳」が展示される。南宋趙大年の青緑山水の風格で王維の詩意が表現されている。水辺に茂る緑の木々と白鷺、薄紅色の蓮の花と黄色のコウライウグイス、清麗な小品の良作である。