文物紹介
明代晩期の収蔵家が磁器を鑑賞する際、最も重んじたのが宣徳の青花、次に成化窯の五彩だった。当時の人々にとっての五彩とは、このような闘彩磁器を指した。本院所蔵の成化闘彩器の中では、杯の装飾模様が最も多い。葡萄紋杯や嬰戯杯、高士杯、花鳥紋高足杯のほか、名高い鶏缸杯もある。明末清初の程哲は『蓉槎蠡説』で、特に注目を集める作品として鶏缸杯を取り上げており、明朝神宗の頃にはすでに「一双値銭十万」で売買されていたという。この小さな杯は口が大きく開き、器壁は低く、底は平坦、低い高台が付いている。外側に3羽の雛を連れた雄鶏と雌鶏の絵が2面に描かれており、月季(バラ科の植物)と蘭の花で仕切られている。口縁に2本と高台周りに1本、青い線が描いてある。内側は白く、無地無紋である。底に「大明成化年製」と青花で書かれた楷書の款識がある。景徳鎮珠山成化官窯遺跡から出土した、鈷料(コバルト)のみの青花鶏缸杯の未完成品と伝世品を比較すると、「闘彩」磁器の制作では、青い輪郭線に沿って各種の釉上彩料を加えてから、窯に入れて焼成していたことが推測できる。闘彩鶏缸杯の流伝については、清朝の『活計档』の記録を見ると、少なくとも雍正朝にまで遡れることができ、伝世品も錦匣─乾隆帝が整理と収納を命じた収納盒に収蔵されている。