典蔵新紀元──清代末期から民国初期の上海画壇,展覧期間  2018.7.1-9.25,北部院区 第一展覧エリア 会場 105、107

 花鳥と人物を主な題材とした上海画壇において、山水画は俗に流されぬよう抗ったようにも見えますが、清代晩期の伝統から脱して新たに育まれた画風が見られます。山水画は上海の画家たちの長所が生かされ、画一的な絵画表現から抜け出そうとしました。そうした中で、董其昌と清代四王の伝統を受け継ぐ楊伯潤と蒲華は、虚実相交じる幻想的な画風で山水の神秘的な美を際立たせました。筆墨の明朗さが強調された蒲華の竹石画には、全く新しい視覚的効果が見られます。明代の画家文徴明の青緑山水を学んだ呉榖祥は、細緻かつ典雅な筆致を追求しました。顧澐と呉石僊は日本に赴き、日本人の画家と交流した経験があります。清代四王の画風を継承する顧澐は、日本では南画の模範的作品とされています。呉石僊は帰国後に作風を変え、煙雨にけぶる朦朧とした風景画を描くようになり、更に人気が高まりました。山水画の典型的画風に関しては、高邕と陸恢が伝統を継承する一方で、呉昌碩と王震の伸び伸びと自由な作風により旧来の画風が刷新されました。濃厚で鮮麗な色彩で山水を描いた黄山寿は最も人気を集めました。

清 蒲華 奇石四屏

  1. 形式:軸
  2. サイズ:135 cm 横 36.4 cm

 蒲華(1832-1911)、浙江秀水(現在の浙江省嘉興市)の人。秀才に及第したが、後に絵画を生業とした。太平天国の乱が勃発すると台州から上海へ移り、その後は嘉興と上海を行き来した。
 この作品は、戊戌(1898)の冬に「徳輔四兄大人」のために制作した四幅一組の奇石図である。19世紀後期、上海の市場では何幅かを一組とする画作が好まれた。蒲華による奇石四幅はその中の佳作である。動感溢れる墨線で輪郭を描き出し、岩石の面は薄墨でぼかして、透明感ある水墨の味わいをかもし出している。四幅の岩石はそれぞれ様子が異なり、透・秀・奇・潤を備える奇石独特の情趣が十分に表現されている。

民国 呉昌碩 蘇州天平山景

  1. 形式:軸
  2. サイズ:縦 147.2 cm 横 39.5 cm
  3. 蔡辰男氏寄贈

 呉昌碩は山水を題材とした作品はあまり多くない。この水墨山水画には長篇の自題─五言古詩一首があり、蘇州の天平山へ旅した際の情況が記されている。呉昌碩の詩集を調べてみると、潘鍾瑞(1822-1890)と唱和した詩であることがわかる。画上の題記は乙卯(1915)とあるが、詩の年代はそれよりかなり早く、潘鍾瑞も在世していた。画面には秀麗な山々が重なる風景が描かれている。粗い筆致で簡潔に表現した岩壁に濃墨のぼかしが添えられ、動感に満ち満ちている。画幅下方に、荷を担いで山道を行く人物がおり、この独創的な山水の新境地を楽しんでいるかのように見える。

清 呉榖祥 臨耕煙山水冊

  1. 形式:冊
  2. サイズ:縦 28 cm 横 42 cm

 呉穀祥(1848-1903)の山水冊計十開。画題の「耕煙山水」は清代初頭の名家「耕煙山人」─王翬(1632-1717)が描いた「十万図冊」を指し、呉穀祥はそれを底本として本作を制作した。「十万図」とは、明清代から大いに流行した画題であり、どの作品も「万松畳翠」や「万頃滄波」など、「万」の字から始まる題がついている。蘇州出身の呉穀祥が描く山水画には、明代呉派を代表する文徴明の秀雅な雰囲気が感じられ、清代晩期の戴熙(1801-1860)の特色も備えている。この冊の山水は王翬の風格とされているが、前人の画風を統合して新たな解釈がなされている。

民国 王震 泉蝠図

  1. 形式:軸 
  2. サイズ:縦 178.2 cm 横 96.2 cm

 王震(1867-1938)、字は一亭、号は白龍山人。浙江嘉興(現在の浙江省嘉興市)の人。生家は貧しく、商店に奉公に出されたが、海運業で身を起こし、1907年に日清汽船の仲買人となった。その後は商才を生かして上海工商界の有力者となり、実業界だけでなく政界でも積極的に活動した。1913年に政界引退を宣言してからは、慈善活動や被災者支援、仏教学や文芸活動に身を投じた。王震は絵画を得意とし、早期は任伯年に師事した。呉昌碩と親交を結んでから、王震の画風はますます洗練された。この作品には、岩に身を隠した老人と童子が描かれている。童子は1羽のコウモリを手にしている。水面を飛んでいるもう1羽のコウモリが、「泉蝠(全福)」の語呂合わせとなっている。