自然生姿態─于右任書法作品特別展,展覧期間 2017年6月1日至8月27日,北部院区 第一展覧エリア 105,107
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不朽経典─交友関係と作品収蔵者

 于右任の書法とその成果は世に広く認められており、交遊関係も幅広く、その書を求める人々が次から次へと訪れました。そうした中で大量の作品が残されたのです。伝世の書蹟は古代の名作や中洋哲人の格言、自作の詩文などがあります。古典文学の素養も深く、その作品には改革精神が満ちており、時代の変化とも連動しています。また、于右任は革命を唱える文学団体「南社」の一員でもあり、来台以降は台湾の詩社とも密接に交流しました。このほか、扁額や看板、楹聯(入り口に張る対聯)など、公的または民間機関からの依頼も後を絶たず、現在まで使われているものも少なくありません。于右任は背景も付き合いの深さも異なる依頼に対して、使用する紙や書き方なども依頼ごとに考えて選びました。こちらのコーナーでは5名の寄贈者を例に、交遊関係や作品などの視点から于右任の作品についてご紹介します。

于彭(1916-)


 字は仲岑、陝西省三原県出身。于右任の次男。行政院参議、外交部大使などを歴任。米国在住。
 ご寄贈いただいた18点は1930-50年代に書かれた作品である。于彭氏の記憶によれば、これらの書蹟は人に請われたのではなく、自分の楽しみのために書いたものだという。肌理細かく凹凸のない真っ白な玉版箋を用いた見事な筆跡が見られ、于右任の書学における卓越した成果が巧まずして表現されている。

民国 于右任

行楷諸葛武侯伝節句

民国 于右任

行書七言聯

民国 于右任

草書辞斗口農場詩

民国 于右任

行楷呂坤呻吟語

何応欽(1889-1987)


 字は敬之、貴州省興義市出身。辛亥や北伐、抗戦などの戦役に参加し、行政院院長と陸軍総司令を歴任した。また、第二次世界大戦中は中国側の代表として日本の降伏受託にも携わった。陸軍一級上将。
 こちらのコーナーの作品は何応欽氏よりご寄贈いただいたものである。この内の4作は1930年代─于氏と何氏が政務で深く関っていた時代の作品で、大字の碑体書風だけでなく、数少ない小字の魏碑楷体も含まれる。何点かの作品は用紙にもかなりのこだわりが見られ、二人がかなり親しい間柄だったことがうかがえる。

民国 于右任

行書五言聯

民国 于右任

行書

黄玉斎(1903‐1975)


 台湾の艋岬出身。上海法学院で教鞭を執った後、台湾新生報叢書委員、台湾大学経済系副教授、台湾省文献委員会などを歴任。
 こちらに展示されている2作は于右任自作の文で、様々な事件を引き起こしたが、これは当時の時局とも関りがあり、于氏は毅然とした態度を貫いている。黄氏は学生時代に革命思想の影響を受け、南明史や台湾抗日史の研究に注力した。于右任の選句は互いに励もうという意が込められているように見える。

民国 于右任

草書七言聯

王新衡(1908‐1987)


 字は子常、浙江省慈渓県出身。立法委員を務めたほか、来台後に事業を興し、亜洲水泥(Asia Cement)董事長、遠東紡織(Far Eastern New Century)常務董長を務めた。文芸を好んだ王氏は毎月、張大千や張学良、張群らと順に主人となって集い、その集まりを「転転会」と称した。参加メンバーはいずれも于右任とかなり親しく、文芸だけでなく政務でもやり取りがあった。
 こちらのコーナーに展示する3作は于氏が50歳、70歳、80歳の時の作品である。使用した紙はきめ細かく滑らかで、筆跡が明瞭に見て取れ、書法家の実力がよくわかる。飛白のやや多い箇所がいくつか見られるなど、いつもの簡潔かつ円潤な用筆とは異なり、また違った味わいがある。。

民国 于右任

行書

陳桂清(1901‐1995)


 本籍は江蘇省張家港、立法委員を務めた。書画の愛好家で自身も書画の名手だった。『陳桂清画書詩選輯』を出版。
 展示中の2作は于右任が50歳前後に書いた作品で、南朝文学批評と書論について書されている。江淹の「勉力在無逸」も羊欣が記した張芝の「臨池学書、池水尽墨」も、文芸を志す者を鼓舞するもので、日々練習に励み、たゆまぬ努力を続けるよう激励している。

民国 于右任

行書