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品味の養成

乾隆帝が治めた世は文治、武功ともに優れ、清王朝の安定した礎を築いた時代でした。彼は広い学識と深い教養を身に付け、書法、絵画、詩文のすべてに長け、豊かな創作力を発揮しただけでなく、その指導と支援に支えられた宮廷芸術もまた、盛世の帝王が持つ多様な芸術的感性と格調を体現しました。これらの豊富な創作と芸術へのこよなき愛好は、乾隆帝自身の積極的な学習態度はもちろんのこと、祖父の康熙帝と父親の雍正帝から受けた薫陶、優れた師の教えや啓発、皇室の先輩や友との切磋琢磨なども、彼の学識素養の確固たる基礎となりました。


皇子時代の乾隆帝-弘暦は皇室の優れた環境に育ち、知識と文化芸術への飽くなき探求心を備えていました。彼は皇室の豊富な芸術コレクションを通じ、歴代の名跡に傾注し、臨模に励み、書の腕を磨いたほか、幼い頃から共に過ごした国師の章嘉呼図克図(チャンジャ・フトクト)の影響を受け、チベット仏教芸術も深く学びました。更には若いころより宮廷画家や西洋の宣教師と密接に交流し、絵画創作と器物鑑賞の視野と感性を育むことになりました。これらのすべてが乾隆帝の芸術への感性を育てる最高の環境であったのです。本コーナーでは「養成」と「環境」の二つをテーマに、乾隆帝の芸術鑑賞力と製作の源泉についてご紹介します。

1-1 教養

乾隆帝と祖父の康熙帝の絆は深いものでした。乾隆帝は十二歳の時に円明園の牡丹台で初めて康熙帝に会い、その聡明さを見込まれ宮中で育てられることになります。康熙帝は避暑のため熱河へ行く時も乾隆帝を側に置き、自ら揮毫しては乾隆帝を指導し、彼の芸術的素養の涵養に大きな影響を与えました。父親の雍正帝は厳粛な性格の持ち主で、幼い乾隆帝の教育を大変重視し、選りすぐりの名師や大学者をその教育に当たらせました。中でも後に乾隆帝より「三先生」と尊称された福敏、朱軾、蔡世遠は、乾隆帝の学問の基礎を打ち立て、彼が経学や古文への造詣を深める上で多大な貢献を果たしました。このほか、皇后の富察氏(フチャ氏)や康熙帝の第二十一子であり叔父にあたる允禧など皇室の関係者も、程度こそ異なるものの乾隆帝の芸術への愛好心と興味の形成に影響を与えています。本コーナーでは文献資料と精選文物を通じ、乾隆帝の芸術的感性の養成に影響を及ぼしたさまざまな人物をご紹介します。

《御製詩集》

《御製詩集》

清高さ宗 清乾隆年間内府烏絲欄写本

版枠

縱26.2cm 横17.6cm

清 余省 姑洗昌辰

清 余省 姑洗昌辰

軸 紙本着色

縱179.2cm 横103.1cm

清 康熙 壷廬文字筆筒

清 康熙 壷廬文字筆筒 紫檀木箱 付属

長さ10.9cm 幅10.6cm 高さ14cm

1-2 環境

若い頃の乾隆帝は「採芝図軸」に描かれた少年のように、落ち着いた表情の中にも周囲の事物に対する好奇心が見え隠れしていました。そして成長過程における恵まれた環境が、彼の探求心の触手を芸術の領域にまで伸ばすことになったのです。宮中のコレクションを通じ、乾隆帝は古代の書家に学び、臨模に励みます。また、幼い頃から共に勉学してきた国師の章嘉呼図克図(チャンジャ・フトクト)は、宮廷における宗教文物の設計に多大なる影響を及ぼし、年少時代から交流のあった雍正朝の宮廷画家-唐岱と鄒一桂は、雍正・乾隆帝両朝を受け継いだ画風を確立。乾隆帝の即位後、磁器の鑑別を行った方西華、乾隆帝に玉器を古物に見せかけるための手法を説いた姚宗仁、宮中に西洋の科学技術と文明を伝えた宣教師、そして国土を切り開くたびにめぐり逢うさまざまな出会い。これらのすべてが乾隆帝の眼界を広げ、その芸術的感性の育みに深い影響を与えることになりました。

清 雍正 弘暦採芝図

清 雍正 弘暦採芝図

軸 紙本墨筆

縱204cm 横131cm

北京故宮博物院所蔵

イギリス 十八世紀 銅メッキ金仙鶴馱亭式表

イギリス 十八世紀 銅メッキ金仙鶴馱亭式表

長さ25cm 幅41cm 高さ43cm

北京故宮博物院所蔵