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展示概要

「乾隆」の満州語は「天の加護を得たもの」という意味です。(満文は付録一を参照)。確かに、乾隆帝は天にこよなく眷顧された天子でした。彼は康熙五十年(1711)に生まれ、嘉慶四年(1799)に没し、生存年代はほぼ十八世紀を貫いています。彼が在位した六十年間(1736-1795)、清朝は文治、武功共に絶頂へ達し、彼は正に中国史上、最も長寿で幸運に恵まれ、七代の子孫を親見し、「五福五代堂」という堂号に相応しい、洪福斉天、所謂天の如き広大な福を授けられた皇帝であったと言えましょう。彼は生涯、「十全」を求めることに尽力し、自らを「十全老人」と号しました。嘉慶元年(1796)、齢八十五歳の乾隆帝は皇十五子顒琰に禅位し、御製文の中で、「十全」とは全方位的君主の理想であることを誓い、康乾盛世を称えると同時に、後代の子孫が帝業の継往開来に努めるように願いました。

(付録一) (付録一)

 

乾隆帝は天資聡明であり、古典を愛し、鋭敏に知識を追い求めました。彼は、幼い頃から満、漢、蔵、蒙など多様な民族の文化を学び、膨大な皇室コレクションに恵まれていたので、深い文化的素養を備えており、彼の芸術的嗜好に深遠なる影響を及ぼしました。その為、乾隆帝は同時に詩人、作家、コレクター、鑑賞家、創作及び園林設計の主導者など多様な役柄をこなし、そのスケールは誠に広大なものでした。この特別展は乾隆帝の芸術的なテイストを展示の主軸として企画しました。彼の文物収蔵、品評と鑑賞能力、コレクションの整理と編目、及び芸術品創作に対する監督や指導などを通じて、清・高宗の芸術的テイストを具体的、且つ系統的に呈示するよう心掛けました。この特別展には、我々、台北故宮博物院の所蔵品から二百余点を厳選した他、更に北京故宮博物院から乾隆帝のコレクションや乾隆朝の文物計四十五点を拝借し、共にこの特別展に参与して頂きました。


この展示は三つのセクションに区分されています。第一セクション、「テイストの養成」では、祖父、父、及び帝師などが、如何に乾隆帝を啓発したか、又は詞臣、画師や優れた職人たち、及び膨大な収蔵品などに構築された環境が、如何に彼の芸術的テイストに影響を及びしたのか、を追究します。第二セクションの「鑑賞制作」では、乾隆帝が大々的、且つ系統的に清朝宮廷の所蔵品の整理を行い、各種の図録を編纂したこと、又それと同時に文物の品評を行い、これらの所蔵品を「上等・次等」、「神、妙、能、逸」、或いは「甲、乙、丙」などの級に分け、それを以て直接当時の製造様式を指導し、宮廷内外の芸術様式に多大な影響を及ぼしたことを物語ります。第三セクションの「生活芸術」では、清・高宗、乾隆帝が天下を主宰していた一甲子、即ち六十年間に達成した数々の功業について語ります。彼はその間、六回に亘り南方を巡り、江南地方に入り込み、又「十全」の武功を以て国土を広めました。更に当時は、中国における西洋文化の影響が徐々に強まり、万国から使者が来朝しました。これらの経歴は乾隆帝の人生を豊かにし、視界を広めた他、その独特で多様な芸術的テイストにまで現れます。彼は更に、このテイストを政治の余暇に自らの情を悦ばせ、志を楽しませる生活の情趣としても実践しました。


乾隆帝は宮中の所蔵品を遍閲し、鑑賞の印記を残しています。又彼は常に作品の鑑賞や分析に関する詩や歌を吟詠しており、経典を引用しながら作品の異同を考証したり、己の意見を修正したりもしています。更に彼は古今の作品を博覧し、異国の文化を受け入れ、清朝宮廷における芸術創作の指揮を執っていました。彼には感情的な面もあり、思わず画境の中に溶け込み、悠然と憧れの文人生活の中に遊んだりすることもよくありました。総じていえば、乾隆帝の芸術観は古代を貴び、文人を慕っただけでなく、革新することに大胆であり、奇抜な趣をも追求した、極めて多様性に富んだものでありました。それは彼の博学、多様性、好奇心、及び彼の活躍した時代や彼の嗜好などに塑造されたものであったと言えましょう。彼は古今を雄視し、抜群に優れていた為、乾隆時代の芸術様式を築き上げ、未だに人々から憧憬される存在となったのです。